目を覚ましたは現在、私の家で一緒に暮らしている。記憶をなくし たは、当たり前のことだが以前とはまったく違う態度で私に接して きた。まるで別人のようでもあり少々居心地が悪かったのも確かだが、そ れでも。私はこの生活が思いのほか気に入っていた。仕え ていた城には戦によって怪我を負い、もう働くことが出来なくなったと偽 り辞めた。今は偽名を使い、変装をして時間に融通のきくフリーの忍にな り働いている。これもすべては記憶をなくし、なにかと不安にあるであろ うのため……と言い訳しているが、実のところはほんの少しでも長 く傍にいたかったということもある。短期の仕事をこなし、土産を持って 家に帰る。家に帰ればが待っていて、談笑しながら飯を食って眠り に就く。そんな、平凡でありきたりな暮らしをするために。 そんな日が数ヶ月と続いていくと、やがて私たちは愛し合うようになった 。私はもとより、は記憶もなく私以外に頼れる人間がいなかったこ ともあるのだろう、あまりにもそれは自然な流れであった。幸せだった。 幸福だった。たとえ目の前に存在している彼女が、であって でない、記憶が戻る間での期限付きの愛だとしても構わなかった。一度は 捨てようとして、捨て切れなかった私の恋。それが、思ってもみなかった 形で戻ってきたのだ。これを喜ばずしていられようか。

しかし、偽りを続けるこんな日々がそう長く続くはずもなく―――ある日 、刺客が来た。どこから私との存在を嗅ぎ付けたのかは知らないが 、以前仕えていた城の忍らしかった。あの時に怪我を偽り騙したことがバ レてしまったのか。理由はどうあれ、私は敵の城の忍だった女と今こうし て暮らしているのだ。あの戦の最中、敵と繋がっていたのでは……と疑惑 を持たれてもそれは仕方のないこと。裏切り者を、間者を始末するのは当 然というもの。刺客の男を警戒しながらそう結論を出す。が今出掛 けていることに感謝した。さて、この狭い部屋の中で一体どう戦おうか。 一人の男は私の前に佇み、手には苦無を持っている。応戦するために自分 も苦無を出そうと懐に手を入れたその時、その忍が不意に苦無を仕舞った 。と同時に、今まで顔の半分以上を覆っていた布を外し、その面を見せた 。



「久しぶりですね、立花先輩」
「不破……いや、鉢屋、か?」



意外な、そして懐かしい顔だった。級友の顔を借り、決して素顔を見せな かった男。学園にいた頃は、一つ年下ということもあり、いがみ合うこと も多かった鉢屋。あの頃と同じように、不破の顔を使っている。



「あたりです。よくわかりましたね」
「以前、長次から不破は忍にならなかったと聞いていたからな」
「ああ、中在家先輩からですか。雷蔵のやつ、仲良かったもんな」



一人納得、といったかのように頷いてみせる鉢屋。その態度に、微かな苛 立ちと更なる警戒心を起こす。この男の、真意が掴めない。



「それで?何をしに来た。まさか昔話をしにわざわざやって来たわけでも あるまい」
「立花先輩ともあろうお方なら、私の目的くらい既に分かっているでしょ う?」
「―――殺すか?私を」
「ええ。それが、任務ですから」



うっそりと、わらう。予想していた通りの展開となった。鉢屋は、私と を始末しに来た忍。仕舞ったはずの苦無をいつの間にか手に持ち、鉢 屋は殺気を出す。さて、こいつを相手にどこまでやれるだろうか。学園に いた頃ならいざ知れず、今やお互い一人前の忍。そこには、体格の差も経 験の差もほとんど存在しない。おそらく、実力は私と互角かそれ以上。ど ちらにせよ、こいつとやり合うならば無傷では済まされないだろう。ギリ 、と奥歯を噛み締める。だが、ここで死ぬわけにはいかない。を独 り残してしまうわけには、そしてを殺させてしまうわけにはいかな い。こんな緊張感は、任務でも久しく味わっていない感覚だ。ざり、と砂 を踏む音が響き、いざ踏み出そうとしたとき、再び鉢屋が口を開いた。



「私、こうして忍として働き始めるときに決めたことがあるんですよ」
「………」
「昔の、あの頃学園にいた奴と会っても、絶対に手には掛けないって」
「それ、は……」



どういうことだ。昔の知り合いに会っても手に掛けない?殺さない?博愛 主義というやつだったか。立派な心掛けだ。けれどそんな綺麗事、この戦 乱の世では通じない。それは、あまりにも―――



「甘い?そうでしょうね。今まで会った奴らにもそう言われましたよ。偽 善だってことは、重々承知してますから。でも、こうやって人がバタバタ と死んでいくこの時代でしょう?一人くらい、そういう奴がいてもいいん じゃないかと」



とつとつと、鉢屋はひとり語っていく。あの日々を懐かしむかのように、 愛おしげに。



「私の中では、あの頃が、まだ学園の中で馬鹿をやっていた頃が一番幸せ だったんですよ。あの頃が、私のすべてなんです。学園での思い出が私の 糧であり、生きていける理由であり、命なんです。だから―――だから、 私はあなたも、そして先輩も殺しません」



自ら命を絶つような真似、したくありませんから。そう、鉢屋は締めくく った。


「―――そう、言ってくれることは正直に言えば有り難い。だが、鉢屋。 お前は本当にそれでいいのか?そんなことを続けていれば、お前……死ぬ ぞ」
「構いません。長生きしたいとも思っていませんから」



瞑目する。思えばこの男、学園の頃からそうであった。周りを悪戯によっ て困惑させることも多々あったが、それは裏を返せばつまり、自分自身の 存在を認識してもらいたかったのだと。私の想像でしかない。だが、あな がち間違ってもいないのではないかと思う。あまりにも刹那的なその生き 方に、いっそ感嘆すらしてしまう。



「先輩。一つ、いいですか?」
「なんだ」
「私がここで仕事を断ってもいいんですが、どちらにせよ新たな刺客が来 る可能性は大きいです」
「そうだな」
「そこで……先輩のその髪をください」
「髪?」
「ええ。そいつに細工をして、先輩は先輩共々死んだことにさせて もらいます」
「バレれば、お前が殺されるぞ」
「言ったでしょう、構わないと」
「―――感謝、する。すまない、鉢屋」
「いいえ、ただの私の我が儘ですから」



髪を苦無でばさりと切り落とし、鉢屋へと手渡す。文次郎や留三郎よりも ずっと短くなった髪のせいでかなり頭が軽くなり、いささか落ち着かない 。



「短髪、似合いますよ。先輩」
「………当たり前だろう。私にはなんでも似合うさ」



あえて、あの学園にいた頃のようにふふんと笑ってみせた。そんな私に一 瞬驚いた鉢屋は薄く笑った。泣き出しそうな、子供の顔だった。



「それじゃ、先輩。私はこれで」
「ああ。………鉢屋」
「なんです?」
「死ぬなよ」
「先輩も、先輩を幸せにしてあげてくださいね」



最後にそれだけを言い残し、鉢屋は音もなく姿を消した。



* * * * *



その日の夕方、戻って来たは驚いていた。



「仙蔵さん!その髪は一体……」
「少し、事情があってな」



苦笑いしながら答える。そんな私の様子になにか感じ取ったのか、 は詳しい事情を追及してはこなかった。記憶が戻る兆候なのか、は たまにこういう以前と変わらぬ行動を無意識にか行っていた。そして、か わりに部屋を見渡すと、小さく首を傾げて言った。



「仙蔵さん?誰かいらしてたのですか?」



その言葉は、私の口から自然と漏れた。



「ああ。古い……大切な、友人だったよ」













懐かしいと思う暇さえない