ある日のことだ。


学園長が教師事務員忍たまくのたま……つまりは学園にいる人間に朝礼を開くと言って全員をグラウンドに集めた。
まだ空は若干白ずんでいるのに朝早くからいい迷惑、と呆れとともに息を吐き出す。ようはため息。
どうせまたいつもの思いつきかなと思っていると、意外なことに連れがいた。
学園長と共に現れたのは、15歳くらいの一人の少女。


ヒュッと、一瞬息を詰めた。

まさか、という思いがよぎる。


彼女は西園寺梨々香と名乗った。
栗色で、緩くウェーブのかかったふわふわの柔らかそうな髪。
髪と同じ栗色の、大きな瞳。
緊張のためかうっすら赤く染まっている頬はふっくらとしており、穏和な、そして整った顔立ちをしている。
まさに美少女と言っても過言ではないだろう。
儚げな雰囲気を纏うその身体は、思わず守りたくなるぐらい華奢だ。
髪も手も、この時代には有り得ないほど綺麗で、傷一つない。

ほぅ、と周りの人間が感嘆の息を吐いた。
立花仙蔵とはまた違った美しさがある。

大勢を眼の前にして緊張しているだろうに、ピンと背筋を伸ばして立つその姿はきちんと教養を身につけた者の姿。
そしてその着ている服といえば、何とも不思議な形状をしている。
ここでは見ないもの――きっと南蛮辺りの物と他の者は考えているだろう。
服装さえ着物であれば、まさに深窓の姫君といったところだ。
下級生の忍たまたちも、

どこの城のお姫様だろうね?
わかんない、でもすごく綺麗だよね。

などと小声で囁きあっている。
ちらちらと彼女に視線を向けながら心なしか浮足立っているかのようだ。


―――ああ、彼女も私と同じだ。


学園長が話すことを聞きながら、そう理解した。
久々に見る現代の服装。
この時代に生きる者として、高位の人間以外はありえないぐらい綺麗な手。
生きる苦労なんて何一つ知らなさそうな、純粋な、瞳。

見つめる。

そして同時に悟った。


彼女も、私と同じだ。


渡って来た、飛ばされた、弄ばれた。
それは、戻れない。
帰れないのだ。
元の平和で恵まれた、戦も飢饉も疫病も、なにもかもから守られたあの豊かな時代に。


帰 る こ と な ど で き な い


ああ、なんと滑稽な!なんと憐れな!
彼女は神に躍らされて、ただの暇つぶしの道具に成り下がったというのに、彼女はそうだと知らない。
信じて疑わないのだ。

いつかは帰れる、きっと大丈夫。
そうタカをくくって日々を過ごしていく。
しかし1ヶ月経っても半年経っても、それこそ10年経っても帰れない、戻れない自分がいて、
痩衰えボロボロになっていく自分を意識したとき、その時になって初めて彼女は嘆くのだ!


そんな憐れな彼女は学園長に促されて、喋りだした。
まさに鈴の転がるような声だった。
その声に全員が聴き入る。

彼女は、自分がこことは違う世界――おそらくは未来から来たこと、運よく学園長に出会ったこと、これからここの食堂と事務員の手伝いをすること。
拙いながらも、懸命に話すその姿に涙誘われたのか、鼻を啜る声が1年生の方から聞こえてくる。
そして最後に、自分が怪しいのはわかっている、信じてくれとは言わない。
精一杯頑張るから、どうかよろしくお願いします、と。

その涙ながらの言葉に胸打たれたのか、彼女の容姿もあいまってか、既に低学年の忍たま達は歓迎ムード。
「大丈夫ですよー」「力になります!」「頑張ってくださいね!」などと声援すら聞こえる。


5、6年生は何やらひそひそと話し合ってどうするか検討中のようだ。
が、ちらほらと頬をうっすら染めている者が多くいることを見るかぎり、おそらくは彼らもじきに絆されるのであろう。
かくいう私の同級生、くのたま達も「可愛い!」とかなんとか囁きあっている。
すでに愛玩動物のような立場を彼女は知らないうちに手に入れたらしい。
女子というものはいつの時代も可愛いもの好きのようだ。


私、私は?


そう、彼女と同じような境遇である私は?
瞳に涙を浮かびながら、ひたすら「ありがとう」と繰り返す少女を目の端に捕らえながら考える。

彼女に私も同じだと告げれば、きっと彼女は歓喜するだろう。
自分と同郷の者がいる、自分と同じ境遇の者がいる。
ただそれだけで、安堵する。

喜んで、涙して、微笑んで、そして私と共に生きていこうとするだろう。
人間とは弱いが故に集団になりたがる生き物だ。
私も、そしてきっと彼女もそう。

でも、でもダメだ。
彼女と私は違う。
根本的なところから全く違うのだ。
私たちは相入れない。
私は彼女が理解できないし、おそらく彼女も私を理解することなど到底不可能だ。

多分それは、私と彼女の境遇の違いによるものだろう。
この世界で生まれた私と、この世界へ来た彼女。

小さな、けれど確かな違い。

苦労してこの年まで生き残った私と、何の労もせず衣食住を手に入れた彼女。
ただの嫉妬心かもしれない
それでも、私は彼女の存在を拒絶する。
するりと、いともたやすく忍たまやくのたまたちの心に入り込んできたように、
私の、あの場所にも入り込んでくるかもしれない。
彼女なんて、ほかの人間なんていらないのに。

訪れるかもしれない危険のために、私は彼女を排除する。

そう、彼女に近づいてはダメだ。
彼女と万が一でも関係を持ってはいけない。
そして何もわかっていない彼女を早くこの学園から追い出そう。
殺したって構わない。
彼女がこの学園に馴染んでしまう前に、はやく。

だって彼女はこの学園に害をもたらす。
彼女をここに置くことによってもたらされる利益なんて、ない。

だってそうでしょう?

室町でなく現代に生きる彼女。
彼女の常識とここはあまりに違う。
ここでの彼女は役立たずでしかない。
それと私の精神衛生のために!迅速に、追い出そう。
もうこの学園に足を踏み入れようと思わせないようにしよう。

追い出そう。

二度と近寄らせないようにしよう。
彼女をおとしめ、追い出してもとの学園に戻すのだ。


さて、まずはどうしようか。













まだ未来はない