「彼女」が掠われたらしい。


職員室へと大慌てで駆け込んで来た、乱きりしんによってそれは発覚した。
3人の話によると、学園長のお使いの帰りに前を歩いていた「彼女」を見つけ、声をかけようとしたらしい。
ところがその時、どこからか黒づくめの忍らしき男が現れ、あっという間に「彼女」を連れ去っていったという。
追いかけようとも考えたが、学園がすぐそこだったのでこうして駆け込んで来たということだった。

それを聞いた教師たちは、学園長も交え緊急の職員会を開いた。
議題は、はたして「彼女」を助け出す意義があるのかどうか。
学園内の教師達が考えていたことだが、「彼女」は何時までここにいるのか、もういいのではないか?ということだ。

ここでの"いい"とはすなわち、「不必要」「殺してしまってもよいのではないか」ということだ。

だがしかし、ここで意見が分かれた。

「彼女」は学園の内情を少なからずとも知ってしまったわけだから、それを敵に知られてしまうのは不味いのではないか、と主張する者。
このまま放っておけば敵が勝手に始末するだろうから、わざわざ危険を侵してまで助け出す必要はないのでは、という者。

どちらにせよ、「彼女」を生かすという選択肢はないらしい。
「彼女」は震えて助けを待っているだろうに、何とも憐れな。

ここで、一年い組の担任である安藤が、学園長に指示をあおいだ。



「どうしましょう、学園長」
「うむむむ……思いついたぞ!」



そしていつものように、思いつきで物事を進め始める学園長。
こうなってしまったからには、もう誰にも止められない。
年中行事のようなものだ、仕方がない。



「委員会対抗の救出作戦じゃ!」



ドーンと言い切りやがった。
何だこのクソじじいは。
その学園長の芝居がかった様子に教師陣は苦笑いだ。

まあ、この学園の内情が知られてしまうよりはこちらで処理してしまった方がいいのは事実。
(とはいっても「彼女」が知っていることなどたかが知れているが)
この思いつきにより「彼女」の救出を委員会、つまり、学園総出でやってしまうこととなったのだ。

私たちが「彼女」を救出するために危険を冒すことについては不本意極まりないが、経験を積む機会が設けられたということでよしとしよう。
(不満たらたらな喜八郎を説得するのに少々てこずったけど)(私だって本当は行きたくないのにさ!)


こうして救出劇は始まった。



* * *



先に情報収集へ行っていた忍たま達からの報告では、「彼女」はある屋敷の座敷牢に閉じ込められているということだった。
妙な趣味を持つ没落寸前貴族の主人が、どこからか特異な経緯を持つ「彼女」のことを聞き付け、興味を持ったという。
己の欲望に忠実なその主人は、とっくに底を突いたと思われていた財産を使って忍を雇ったというわけだ。

城や国を相手にするような厄介なことにならなくてよかったと、教師陣は胸を撫で下ろした。


武家ではなく貴族、それも没落寸前である屋敷の警備は、あってないようなものだった。
つまり穴はだらけ。
それは門番が中でいびきをかいていたほどに。
人数も少ない上に、各個人の装備なども貧相でしかなかった。

無事に侵入を果たした各委員会の者たちは、何なく座敷牢へとたどり着いた。
もとより戦闘の訓練を受けた人間などほとんどいない貧乏貴族屋敷。
屋敷内に侵入することは下級生でも容易かった。



「梨々香さーん、無事ですかぁ?」



体力があるため真っ先に乗り込んで来た体育委員長の七松小平太が声を上げて「彼女」を呼ぶ。
大声を出すなど言語道断だと思われるが、すでに屋敷内の人間は処理済。
声を出すことに遠慮などないというわけだ。
「彼女」の声が聞こえてきた。



「こ、こへくん……?」



か細く、注意していなければ聞き逃していたかもしれないほどの声量だった。
掠われてから発覚に至るまでが短時間だったため、
実際に座敷牢にいれられていたのは数時間であったのだろうが「彼女」の顔は恐怖感と極度の緊張により疲弊しきっていた。

知り合いの顔を見つけたためか、「彼女」は安心して顔を綻ばせた。
だがその後すぐにそれは泣きそうな表情へと変わった。
さすがに迷惑をかけた、という認識はあるらしい。



「ご、ごめんね…。私なんかのためにこんな所まで…」
「いや、問題ないです。むしろ忍者となればこのくらい当たり前のこと。なので気にすることはありません」



七松の後から会計委員長である潮江文次郎が現れた。
その後に続きぞくぞくと他の委員会のメンバーらも集まってくる。
狭い座敷牢にこれだけの人数が詰め込まれるとさすがにいろいろと厳しいものがあった。
(忍たまって男だからこれだけいるとむさ苦しいのよ!)

やがて立花仙蔵が潮江に無理矢理、後は任せろと言い放ち他の者達を追い出したため、そこは一気に作法委員会の独壇場となった。
(私も追い出された)(喜八郎はこっそり抜け出してた)



* * * * *



「ふん……」


ここに残ったのは作法委員数人と、目の前にはすでに打ち負かした雇われ忍の男、そして梨々香だけだ。
この状況、やることは一つしかない。

すでにこの屋敷の主人も、 この家に仕えていたであろう僅かな下働きの者たちもすべて屋敷に侵入したのち即座に始末した。
何も知らなかった下働きの者からすれば不運としか言いようがない。
残すところは雇われた忍であるこの男だけだ。

ない金を無理矢理かき集めて雇った為か、この忍の実力はひどく中途半端だった。
それは、忍たまだけでも殺れないこともないほどに。
つまりは二流。
よくもまあ今まで生きてこられたものだと半ば感心すらしてしまう。
きっと悪運が強かったのだろう。

だがその悪運もここまで。
個々の力では劣るものの、そこは連携プレーで補って男を捕らえることが出来た。
後ろ手に男をしっかりと縛り、もともとは梨々香が入れられていた座敷牢前の冷たい地面に転がす。
乱暴に扱われ、傷に障ったのか男が呻いているが誰も気にしない。

……いや、梨々香だけは顔を歪めて男のことを心配そうに見つめている。
自分を掠った張本人だというのに、何とも理解しがたい、と立花は眉をひそめる。

やがて、立花は一本の苦無を取り出した。
もちろん殺すのだ。
屋敷の主人からすでに情報を引きだし、
念のため、とこの忍も生かして捕縛したがそんな必要はなくなった。
チャキ、と男の首筋に宛てがい男に手をかけようとした、その時。


梨々香が手を広げ、その縄で縛られた男の前に飛び出したのだ。



「ダメよ!こ、殺そうとするなんて!そんなの絶対ダメ!」
「ま、まだみんな子供なのに殺人を犯すなんて……!」
「そんなことしなくても、話し合いで解決しましょう!?」
「だ、だってに話し合えばきっと解決できるもの!分かり合えるもの!」



―――空気が、凍った。


この女は一体何を言った?
忍が敵を殺すのは当たり前のことだ。
そんなことは1年生にだってわかっている。
現にこうして1年生の目の前で殺そうとしているが、別段騒ぎもしない。

解っているからだ。

忍術学園に入るということは、そういうことだ。
もちろん礼儀作法を身につけるために入ってくる人間もいるが、色の授業――例えば房中術ならともかく、殺しの授業にそんなことは関係ない。
(というか、殺しの授業が始まる前に学園を去っている)(礼儀作法ならば2年か3年いれば十分だからだ)

この女はそのことを知らないで今まで学園内で過ごしてきたのか?
無知にもほどがある。
呆れてものも言えないとはまさにこの状況のことだろう。
ようやくその衝撃的な発言から溶けたのか、立花は口を開いた。



「梨々香、さん」
「考え直してくれた!?仙蔵くん!」
「―――ええ!やっぱり殺すなんてダメですよね」
「そうだよ!よかったぁ、わかってくれて」
「それでは私はこの人がまっとうに生きるように説得しますから、梨々香さんは先に学園へ帰ってください。大変だったでしょう?」
「え……で、でも…」
「私は大丈夫ですから。兵太夫、伝七は梨々香さんを学園まで送ってきなさい」
「「はぁーい」」
「あとは頼んだぞ」



梨々香達の姿が見えなくなると、それまで立花の顔に張り付いていた笑みが消え、いっそ冷たささえも感じられる能面のような無表情になった。
他の者達も帰らせ、座敷牢には立花と忍の二人だけとなる。
これから何をされるのかと、相手は一瞬身震いする。



「さて……」
「なんだ!?我を説得するきか?よもやそんなことに応じるなどと―――」
「まさか」



続く男の言葉を一刀両断し、やれやれといった風に肩をすくめる。
先程までの立花とあまりにも違う雰囲気に男は困惑の表情を微かに浮かべ、立花の様子を伺った。



「何だ、貴様は本当にに私が説得し始めるとでも思ったか?はっ、おめでたいことだな」
「なっ………」
「貴様はここで死ぬ。なに、忍ならば任務で死することなど当たり前だろう?」



そう言い放つと、苦無を振り上げ何の躊躇もなく男の首目掛けて振り下ろした。

ザシュ。

鮮紅色の血液が、まるで噴水のように噴き出る。
男は抵抗する暇も、断末魔をあげることもなく地面に倒れ伏すと、ころりと血の気のない頭が鞠のように転がっていった。

地面や壁に飛び散った血液が、酸素と化合してどす黒く色を変えていくのを無表情に眺めながら、立花は屋敷を後にした。


一度も、振り返りはしなかった。













渡り歩く夜