無事に城から帰って来た「彼女」に待っていたのは地獄だった。
いきなり教師達に地下牢へと連れて行かれ、苦無を突き付けられた。
暗闇の中で鈍く光る。

「彼女」はなんで、どうしてとしきりに呟いていたが、そんなことはお構いなしに教師達は厳しく尋問する。


この学園のことについて何か喋ったのか?
何を?
どんなことを?
何をされた?
あそこに連れていかれた後、何をされた?


等々拷問でこそないものの、それに近いものがあり容赦なかった。

「彼女」はただ顔を紙のように白くさせ、かたかたと歯の根を鳴らしながら答えていた。
わからない、等と曖昧なことを言えばたちまち苦無が右の頬を掠め、左の頬には手加減のない平手が飛んできた。

恐怖しかないようだった。

掠われる前までにこやかに話をしていたはずの教師達が、無表情に淡々と話を進めていく姿に「彼女」はひたすらになんで?と呟いていた。
その質問に答える教師はなく、互いにぼそぼそと何かを囁きあうと、「彼女」の方を見向きもせずに地下牢を後にし夜の中へと溶けていった。

「彼女」はただただ呆然としていた。
未だに自分に置かれた状況を正しく理解できないのだろう。
まあ一般人なのだから仕方あるまい、忍びと比べるのは酷というものだろう。



「ねぇ、逃がしてあげよっか」



今まで屋根裏に潜んでいた私は、不意に「彼女」に対して話し掛けた。
「彼女」と言葉を交わすなんて虫酸が走るし、正直吐き気がするけれど、
このまま「彼女」が学園を出て行ってくれたら私にとってこれ以上の幸せはない。
今まで散々拷問紛いの尋問を受けていた「彼女」は突然話し掛けられたことにひどく驚いたようだった。
怯えの色が浮かぶ。



「だ、だれ……?」
「私だよ」
「あ…喜八郎くんと一緒にいたくのいちの、えっと…」



ムカついた。
どうしようもなく苛立った。

あの場にいた私も嫌々だったが自己紹介したはずだ。
喜八郎以外どうでもいいと?

冗談じゃない。

こんな奴に喜八郎を渡してたまるか。
恋する乙女とはなんと自分勝手な生き物だろう。
自分のことしか頭にない。
腹立たしい。
やっぱりはやくこいつを追い出さなくては。

思考が乱れる。

落ち着け、大丈夫。
だってみんながついてるから。



。あなたのことを逃がしてあげようかと言ったの」
「本当!?」
「ええ、もちろん」



今、自分に張り付いているだろう嘘臭い笑顔。
しかし「彼女」は突然現れた私に安心し、息をついた。
近くに教師達の気配はなく、天井裏に隠れている喜八郎達の薄い気配だけを感じる。

今なら、いける。

あらかじめ用意しておいた複製の鍵を鍵穴へと差し込む。
金属独特の高く、重量感のある音を出して軋みながら扉が開いた。
「彼女」は恐る恐るといった様子で出て来た。

牢の外から見たときには暗さもあいまって解りにくかったが、こうして月の光が差し込む場所に出て来るとよくわかる。
「彼女」の顔は酷かった。
もともとの柔らかだった頬は平手打ちと苦無により赤黒く染め上がり、腫れてよりグロテスクさに拍車をかけていた。
まぁ、教師も手加減しているようだから歯は折れていないようだが。



「さぁ、早く逃げましょう。誰も来ないうちに」
「うん、わかった!」



歌うように「彼女」を誘うと、そのまま裏門へと歩き出した。
こっそりと、足音を潜めて。
誰かに見つかればただでは済まないだろう。
間者という疑いされ晴れれば、「彼女」はまた愛されるのだ。
いや、何も知らない忍たま達からすれば未だに「彼女」は愛すべき存在だろう。
そんな「彼女」を私は貶め、亡き者にしようとしているのだ。

私の後ろを歩く姿を確認しながら、ふと思い付いたことを聞いてみた。



「西園寺梨々香さん」
「なあに?ちゃん」
「あなた、もとの世界へ帰りたい?」
「……え、と」
「もとの世界へ帰りたいのかと、聞いたのだけれど」



ただの好奇心だった。

万に一つも「彼女」がもとの世界へ帰れる可能性というものはないが、それでも聞いてみたかった。
現代ではない、こんな戦乱の世に飛ばされてきたがそれでも恵まれている「彼女」
見知らぬ場所、見知らぬ人々に囲まれながらも慈しまれてきた「彼女」
はたして、帰りたいのだろうか。

私は、もう帰りたいとは思っていない。
この時代に生まれたばかりの頃は、絶望し不安と恐怖で幾度も死のうと思ったが、今は違う。
死ぬならば、ここで、この世界で骨を埋めたいと思う。

確かにこの時代は不便だし、人の死も間近にあり、そして厳しい世の中だ。
それでも、悪いところばかりじゃないことを私は知っている。
だからこそ、私と同じ境遇の「彼女」に聞いてみたかった。



「あたし、は……帰りたいよ。こんな所はいやなの!お、お父さんもお母さんもいないし、友達だっていないし」



今までの不安を統べて吐露するかのような勢いで「彼女」は喋り出す。



「淋しいよ……。みんな優しいけど、でもやっぱり未来とは違うの!考え方とか感じ方とか。怖いこともいっぱいある…し」
「テレビも携帯もパソコンもないし、好きな雑誌とかコンビニもないし」
「学校もまだ夏休み前だったのに……あ、遊びに行こうねって、みんなで約束してて」
「も、やだよぉ……帰りたい。帰りたいの……」



「彼女」は泣き出していた。
誘拐されたり尋問されたりして、感情が不安定になっているのだろう。
ぐすぐすと泣きじゃくる「彼女」を適当に宥めながら足を進めた。
質問をしたのは私だが、ここで時間をくって誰かに見つけられたら困る。

月明かりが雲に隠された。
少しの間、暗黒が訪れる。

裏門へと到着し、泣き止んだ「彼女」と向き合う。



「本当に、本当にありがとうね!でも、どうしてここまで……。あたし、ちゃんとそんなに仲良かったわけじゃないのに…」
「別に、あなたのためじゃないわ」
「え……?」
「私、あなたのこと嫌い。大嫌い。あなたがいると吐き気がするし、あなたが存在すること自体、堪えられない。
 だからあなたに出ていってほしいの。消えて」
「そ、そんな……」
「もう、ここには戻ってこないでね。あぁ、言っておくけれどこれはあなたのためでもあるのよ」



もし、この学園に戻ってこようものならきっとあなたは殺されてしまうでしょうから。

「彼女」は言葉が出ないようだった。
いきなり突き放された悲しみと、理解しきれない困惑が混ぜ合わさったかのような表情でこちらを見つめている。
自分が殺されそうになっている、などとは夢に思いもしなかったのだろう。

生温い現実に浸かって、危機感を無くした昔の私。
「彼女」の姿に、ここへ来る前の何不自由ない生活を送っていた「私」の姿が重なる。
あぁ、なんて愚かな。



「二度と、この学園には近寄らないことね。それがあなたのため」
「で、でも……」



まだ言葉を続ける「彼女」に少々呆れる。
まだわからないのか?
ここにこのままいたら与えられるのは苦痛だけだというのに。

「彼女」のため、と言いつつも、これは自分の願望だともわかっていた。
「彼女」のいない世界を、私は望んでいるのだ。
「彼女」さえ、いなくなればすべてがもと通りになるのだ。

全部が全部、「彼女」のせいだったというわけではない。
「彼女」は無知なだけだ。
この世界に生まれたばかりの私と同じ。
ただ、ほんの少し生い立ちが違っただけ。
私が「彼女」の立場になっている可能性だってあったのだ。

それでも、私は「彼女」を追い出すことをやめようとは思わなかった。
我が儘で傲慢で身勝手な私の、願い。

山奥で雉子が鳴いたのを捉えた。
早くしないと誰か教師や朝練をする忍たまに見つかってしまうかもしれない。


夜明けまで、あと半刻。













吐息は常にため息