「まだわからない?」



いい加減「彼女」に焦れたのか、やって来たのは喜八郎だった。
すべて私に任せて、自分達は物影にでも隠れて見ていると言っていたのに!
確かに私はいい加減我慢の限界で「彼女」を殺しそうになってしまったが。

喜八郎には、喜八郎だからこそ出て来てほしくはなかった。

――私の異端さが、醜さが、弱さが、「彼女」との会話のなかでバレてしまうかもしれなかったから。

「彼女」には私が同じだとは告げていない。
「彼女」になにか縋り付けるような希望を与えてしまうのが嫌だったから。
やるならば徹底的に。
起き上がることのないように。



「喜八郎くん!」



「彼女」の張り詰めていた表情が和らいだ。
想い人の登場によって、自分がこの状況から救ってもらえるとでも思ったのだろうか?
勘違いもいいところだ。

喜八郎はそんな「彼女」に対して普段の無表情を嫌悪に歪めた。
恐らく私も似たような顔をしていることだろう。



「迷惑だと、邪魔だと言っているの」
「喜、八郎くん……?」
「お前が来たせいでなにもかも目茶苦茶。お前のせいでが苦しんでる。早く出ていって。そうじゃなければ死んでくれる?」
「なんで、」
「言ったでしょう?お前が邪魔なの。大嫌い、死んじゃえばいいのに」
「何でそんなこと言うの?だって、喜八郎くんはあたしの運命の王子様で、あたしは、」



「彼女」は自分が今まで想い続けてきた相手の言葉を、まだ正常に理解できていない様子だった。
ざり、足音を立てて喜八郎が「彼女」へと一歩近づいた。
それにびくんっと「彼女」が肩を震わす。
怯えたような、それでいて縋り付くように上目使いで喜八郎を見上げる。



「じゃあね」



ドンッ



「――――え」



一言だけそう言い放つと、喜八郎は「彼女」を押しやり門の外、学園の外へと強制的に追い出した。
茫然自失している「彼女」を尻目に、木製の門は無情な音を立てながら閉められた。


これで、「彼女」は二度と現れない。


やった。
やったやったやった!
「彼女」はもういない、消えたのだ!
嬉しい嬉しい嬉しい。
これでまた、もとに戻ったんだ。
みんな!これで、



「逃がしたのかね」



「彼女」を見送った後にホッと息をついていると、気配も感じず、不意に背後からかけられた声に私は肩を震わせた。
学園長、大川平次渦正だった。

さすが。
現役を退いてこうして学園で悠々自適に生活しているとは言っても、元はプロの忍。
忍たま、それも4年生の背後をとるなどたやすいというわけか。

その顔は無表情で、何を考えているのかまるでわからない。
普段の穏やかな、好々爺とした雰囲気などかけらもない。
思わず後ずさると、今まで物陰に隠れていた滝夜叉丸達も、横にいた喜八郎も庇うかのように私と学園長の間に立ち塞がった。

―――そうだ、私には、みんながいる。

うっすらと白ずんでいるだけでまだ空け切っていない曙の空を見上げて一つ深呼吸をすると、私はみんなの前に出た。



「私を、殺しますか」



後ろで喜八郎が動揺したのがわかった。

学園で保護していた「彼女」を私は逃がしたのだ。
「彼女」を生かすためではなく殺すために逃がしたのだけれど。
それはつまり、学園に逆らったということ。
学園に背いたということでどこかの間者として疑われ、始末されたとしても可笑しくはない。

たとえ間者でなかったとしても、疑わしきは罰せよ、だ。
殺されてしまうかもしれないことに、不思議と焦燥感や恐怖感はなかった。
一度死んだ身なのだから、もしかすると死に対して恐怖を抱かなくなったのかもしれない。

だがもし私が殺されたら喜八郎はどうするのだろうか?
私も喜八郎も、互いをなくしては生きていけない。
後を追ってくるかもしれない。
優しいみんなは、学園と戦うかもしれない。
それだけが気掛かりだ。

私は学園長をじっと見つめるが、その細められた双眼からは何の反応を返してこない。
……どういうことだ?殺さ、ないのか?



「学園長、先生。私を殺さないのですか……?」
「ほっほっほ、必要ないからの」



そう学園長は断言した。
……必要ない?どういうことだ。



「西園寺梨々香をこの学園で保護するといったのは、二つの目的があったからじゃ」



一つは、忍たま達が新しく来た女性に対して恋心を抱き、色に溺れてしまうことがないかどうか。
もう一つは、あまりに不審である「彼女」に対して疑い、どう行動できるか。

すべては学園の、学園長による独断のに企て。
理解した。
だがしかし、それでも「彼女」は学園の情報を少なからず持っていて、それが敵にでもバレたら……。



「西園寺梨々香がここを出て生きていけるはずがないのじゃ」



まるで思考を読まれていたかのような言葉に、思わず息を飲んだ。
そんなことはお構いなしに学園長は続ける。



「上級生にはな、ある指令を出したんじゃよ。おまえ達のところには明日にも出されるじゃろう」

「指令内容は、"西園寺梨々香を見かけたら殺せ"」



ほっほっほと、まるで世間話でもするかのように笑いながらにこやかに告げる。
だが、細められた眼は笑っていない。



「これも試験みたいなものじゃよ。西園寺梨々香がこれから先、逃げ切れるかどうか、のぅ?」



恐らくは、殺される。



「…学園に隠し事をするのなら、次からはもっと上手くやることじゃな」



最後にそれだけ言い残すと、学園長は去って行った。


――夜明けが、訪れていた。













目の前は朝だ