5年の教室からは校庭がよく見える。

兵助は休み時間になんとなしに校庭をぼーっと眺めていることが度々あった。
今日もそんな調子で何気なく校庭を見下ろしていると、その片隅に人影があるのに気がついた。
普段ならば忍たまの誰かだろう、と気にも留めないのだが、今日は何故か気になって眼を凝らしてみる。
すると、やはりというか人影の正体はだった。
だがしかし、どうやら一人ではないらしい。

兵助が見下ろすその木の下にはと、彼女が所属する委員会の委員長である食満留三郎がいた。


(用具委員会での打ち合わせ、か?)
(だとしても、何故あんなところで?)


兵助はことり、とわずかに首を傾げる。
遠すぎるために耳を澄ましたところで到底会話など聞こえはしない。
読唇術だって身につけていないのだから会話の内容などさっぱりだ。
しかし、顔の動きくらいは判断することが出来る。
好奇心に駆られた兵助は、盗み見なんて……と思いつつも眼を凝らす。

留三郎の顔は朱に染まり、先程からなにかを言い出そうと必死になっている。
だが、その口から洩れるものは空気のみで、ぱくぱくと開けたり閉じたりを繰り返すだけ。
そんな端から見ればからかいたくなるような留三郎だが、対するは真剣な眼差しだ。


(あれ……あれって今から告白するみたいじゃないか)


兵助は、以前にも似たような場面に出くわしたことがあった。
いくら忍となるための人間が集まる学園とは言っても、年頃の少年少女達が至って近いところで暮らしているのだ。
互いを意識しないという方がおかしい。
こうして自らの思いを告白するというのも、決して珍しくなかった。
兵助が見たのもそんな中の一部。
その時はくのたまのほうから想いを告げていたようだったが。
閑話休題。



やがて、留三郎はさらに顔を真っ赤にしてとうとうなにかを言ったようだ。
は一瞬、虚を突かれたような顔をしたがやがて優しく、綺麗に笑った。
にしては珍しい、他の感情など一片も混ざらない慈母のような笑みだった。


(あれ、は、つまり食満先輩が告白し、がそれを承諾した、ということ?)


その様子をばっちり目撃していた兵助は、酷くうろたえた。
こちらも、普段冷静な兵助にしては珍しいことだ。


、俺のことをが好きなんじゃなかったのかよ)


自分を好いてくれる人間ならば、誰でもいいのか?
わけのわからない憤り。
兵助の心はすぅ、と冷えていく。

結局、と留三郎はあの後二人仲良く並んで食堂の方へと向かって行った。
その後の授業、兵助は集中もできずにずっとうわの空だった。
兵助の頭の中ではぐるぐると、昼間見たあの光景が浮かんでは消え、浮かんでは消えと繰り返されていた。


(なんだこれ)
のことなんか、が誰と付き合おうがどうでもいいはずなのに)


ぐるぐるぐるぐる。

兵助は悶々と考え続ける。
授業中も、休み時間も、食事のときも。

ぐるぐるぐるぐる。

けれど、その悩みも風呂に入ってるときにあっさりと解決した。


(ああ、そうか)


兵助が出した結論、それはかなり的外れな見解だった。


(これは、この気持ちは、が食満先輩と付き合う→休みの度に持って帰ってきた豆腐がなくなるかも→俺の豆腐が……!そういうことだな、うん)


この結論、彼の友人が聞いていたならば盛大な突っ込みを入れてくれたことだろう。
誰もいないことが悔やまれる。

そんな誰もいない状況だからこそ、兵助は一人勝手に思考を進めていく。


(まあだいたい、に直接食満先輩と付き合っているかどうかを聞いたわけじゃないし)
(もしかしたら本当に委員会の打ち合わせだったのかもしれない)
(よし、この後食堂で聞いてみよう)


一人寂しくうんうんと頭を振り、納得した兵助。
ざぶり、と湯舟の中から上がる。


(大丈夫さ)
(だってあいつは、俺のことが好きなんだから)
(絶対、大丈夫)


問題が解決したためか、機嫌良く長屋の廊下を闊歩する。
しかし、自室の戸に手を掛けたところではて、と動きを止めた。


(―――あれ、大丈夫?何が大丈夫なんだ?)
(……あ、俺の豆腐のことか)


兵助の思い込みはまだまだ止まらない。



* * *



次の日の朝、食堂へ行く途中でと会った。
兵助は事の真相を確かめるべくを呼び止める。



「あ、へーすけだ。おはよー!」
「ああ、おはよう。ところで、お前昨日の昼間食満先輩と……」



いささか聞き出し方が無理矢理すぎるか?と思いながら単刀直入に話す。
ところが、最後まで言い切る前にが反応を示した。



「え、うそ。やだ、聞いてた?」
「いや、聞いてはいない。見てただけで」
「あ、そうなんだ!よかったー」



兵助自身も気付いているかどうかわからないほどの微かな苛立ち。
その原因は、のあからさまにホッとした様子に対してか、それとも。



「なんだ、聞かれてたらまずい内容だったのか?」
「うーん…どうせすぐにばれるかも、とは思ってたけど……」



言い渋る
しかし態度を見れば、そしての言葉を聞く限り、どう考えても兵助は一つの答えしか導き出せなかった。


(やっぱりは食満先輩と付き合い始めたのか!)


どういうことなんだ、と兵助はまた一人思考の渦に飲み込まれていく。
眼の前でがまだなにか言葉を続けているようだがらそれすらも既に耳に入ってこない。


(お前、俺のことが好きなんじゃなかったのかよ)


毎日毎日、欝陶しいほどに思いを告げてきたを兵助は思い出す。
どんなに素っ気なくあしらっても、めげることなく告白してきた
あれは何だったんだ、と兵助は考える。


(俺はどうなるんだよ。俺は……)


俺?どうしてそこで自分のことがでてくるんだ?
今思っていたのはのことではないのか?
なんと言っても友人に恋人が出来たのだ、素直に祝えばいいだけのこと。
おめでとうと、言えば。

しかし兵助の頭には再び疑問付が浮かぶ。
なぜ自分はこんな事を考えているのだろう、と。
なぜ友人の恋を喜ぶことができない、と。



「兵助、話聞いてる?さっきから黙り込んでるけど……どうかした?」
「……いや、別に。なんでもない」



ごちゃごちゃと欝陶しい思考を頭の片隅へと無理矢理追い込む。
そんなことよりも、やっぱり聞いて、



「そ?あ、今日、あたし食満先輩とご飯食べるから。寂しくても泣いちゃダメだよ?」



聞くまでもなかった。そのの最後の一言が決定的だった。
実習などで予定が合わないとき以外、いつも兵助、を含めた三郎、雷蔵、八左ヱ門の5人で食べているというのに。
それをから断ってきたということはつまり。
簡単なことだ、1年生にだってわかること。

付き合い始めた2人が仲良くご飯を食べる、なんてことくらい。



、お前……」



食満先輩と、付き合ってるんだな。
寸前のところで兵助はその言葉を飲み込む。



「なにー?」
「―――いや、いい」



わざわざ、自分を追い詰める言葉なんて、聞きたくない。



「兵助今日おかしくない?ま、いいや。あたし食満先輩のところ行くから。じゃね」



そんな兵助の様子を訝しむ
しかし、いともあっさりと別れを告げて去って行った。

の視線の先には留三郎の笑顔。

兵助は呆然と、の後ろ姿を見送るに他ならなかった。













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