「俺、お前のことが好きだ」
今まで気が付かなかった、兵助自身の思い。
あまりにも滑稽で、あまりにも純粋な兵助の言葉。
そんな兵助の告白を聞いた瞬間、は見事に固まった。
「………え」
「だから、お前のことが好きだと」
「え……は、え?え、ちょっと待って、あんた本当に兵助?え、三郎が変装してるとかじゃなくて?」
「正真正銘の、久々知、兵助だ」
激しく混乱しているに、言い聞かせるようにゆっくりと一言ずつ区切りながら肯定する。
友人の変装かと疑われる辺りが、今までいかに己が彼女の好意を無下にしてきたのか思い知らされる。
ああ、思いを言葉通りに受け取ってもらえないことはこうも苦しいものなのか、と。
「え……本当に?」
「ああ」
「豆腐よりも?」
言外にあたしの方が好きなの?と眼で告げてくる。
まあ、今までの兵助の態度が態度だったのだ、すぐに信じることが出来ないのも無理はない。
だが、兵助は未だを見つめて
「……ああ」
と、若干の間が開いたがしっかりと頷く。
その返事にはようやく実感が湧いたようだ。
みるみるうちに顔どころか首まで真っ赤に染め上げた。
正座に座り直し、しっかりと兵助を見据える。
「えと、その……あたしも兵助のことが好きです!」
「知ってる」
「………うーん、と」
思い切っても兵助の思いに応えたにも関わらず、即答で返されるとはどうすべきなのかいまいちわからない。
お互いがお互いを好きと言って、それで?という感じである。
両思いになったものの、物語のようにその場ですぐ接吻したり抱擁しないところが彼等らしい。
先程から二人とも見つめ合ったまま座った状態でいる。
「あの、さぁ兵助」
「なんだ?」
その後何の言葉も発しない兵助にはじれったそうに身じろぐ。
告白し合った後の空気というものは、妙に気恥ずかしくなる。
嬉しいのだが、どこかむず痒い。
だんだんとはこの状況がいたたまれなくなってきた。
「それで、こう……何かないの?他に」
「何か……ってああ」
そんなの微妙な心情を察したのか得心、といったように一つ頷いた。
そして兵助はの手を握り、至極真面目に、緊張感張り詰める表情で言い放つ。
「俺のために毎日豆腐を作ってほしい」
恋人の付き合いもなにもかもをすっ飛ばしていきなりの求婚。
しかも決まり文句の「俺のために毎朝みそ汁を作ってくれ」ではなく「豆腐を作ってほしい」と言うのは、さすがとしか言いようがない。
とことん常識というものを突き破ってくれる。
兵助の唐突な求婚にぽかーんとする。
返事はまだかとの手をぎゅう、と握る兵助。
そしてが何か言おうと口を開こうとしたその瞬間、
「兵助、お前結局はそこか!」
「あーあ、せっかく良いところまでいってたのに。兵助なにやってんの」
「兵助、お前実は馬鹿だろ。い組だけど馬鹿だろ」
どやどやがやがやと騒ぎながら三郎、雷蔵、八左ヱ門の順になだれ込んで来た。
それに驚いたのはだ。
突然のイレギュラーな友人達に混乱している。
「三郎に雷蔵に竹谷!?え、ちょっ何時からいたのよ!」
そして先程までの兵助とのやり取り―――求婚に至るまでの過程を聞かれていたのか?と羞恥で頬が赤く染まる。
「何時って……始めから?」
「心配だったんだよ?兵助がちゃんとに言えるかどうか」
「雷蔵、顔笑ってんぞ」
いかにも「大切な友人の恋路を心配していました」というような台詞を吐く雷蔵だが、いかんせん顔が笑っている。
面白がっているのが丸わかりだ。
「お前等……入って来るの早過ぎ」
どうやら兵助は覗かれていることを知っていたようだ。
三郎が悪戯っ子のような眼を細めて笑う。
「八左がどーしてもって言ったんだよ」
「ちょ、三郎!てめ、んな嘘吐くなよ!」
「まあまあ二人とも落ち着いて……」
さっきまでの雰囲気はどこへやら。
あっという間に普段通りへと戻っていく彼等をはぼー、と眺めるしかなかった。
え、ちょっとさっきの求婚はどうなったの?
そんなことも言い出せないまま。
のことなどそっちのけでぎゃあぎゃあ騒ぐ友人達。
やがてはくっと肩を震わせると、
「ッくく……あは、あはははは!」
ひーひーと目に涙を浮かべながら大笑いし始めた。
それにぎょっとしたのは兵助達。
まさか気でも狂ったか!?何気に失礼なのが彼等である。
しかしながら、の笑いに誘われたのか、やがて一緒に笑い出す。
部屋中には笑顔が満ちる。
彼等の頭の中には、ここがくのたまの長屋だという事実がすっぱりと抜けているようである。
後で教師に呼び出されることは必至だ。
ひときしり笑い満足したのか、は指て眦の涙を拭いながら兵助へと向き直る。
「兵助」
「………うん」
「ふつつか者ですが、どうぞ恋人として付き合ってください」
畳に手を付き、深々と頭を下げる。
兵助同様、の言葉もどう考えても嫁ぐ者の台詞だ。
この二人、やはりどこかズレている。
さて返事はいかほどのものなのか、と三郎達が見守る中、兵助はゆるりと微笑み、
「よろこんで」
とを抱きしめた。
思わず三郎達はおおー、と歓声を上げ拍手を送る。
恥ずかしそうなと、照れ臭そうな兵助はそれでも嬉しそうに笑っていた。
「なあ、酒呑もうぜ!酒!」
「おうッ、今日は宴会だな!」
はしゃぎながら高らかに叫ぶ三郎と八左ヱ門。雷蔵も楽しそうに笑っている。
兵助とは若干自分達の世界へ入り込んでいるのか、いまいち反応が返ってこない。
だが合いの手の言葉はどこからか発せられた。
「あら、楽しそうねぇ。私も混ぜてくれるかしら?」
うふふ、と笑いながら以外の女の声がする。
八左ヱ門は片手を突き上げ意気揚々と返事する。
「もちろん!―――え……?」
はて、彼女の同室者はいなかったはずでは……?
まさか……と八左ヱ門はぎぎぎと音がしそうなほど奇妙な動きで振り向く。
その視線の先にはもちろん。
「山本……シナ、せんせい」
「はい。―――ここは、男子禁制だったかと?」
いっそ色気さえ感じるほどの妖艶さでうっそりと微笑む。
さすがはくのいち。
普段なら見惚れるところだが、この状況ではそうもいってられない。
を含めた全員が、さっと顔を青くする。
「すす、すいまッせんでしたぁぁあ!」
さすがに五年生。
認識した途端、電光石火の素早さであっという間に逃げ去った。
そんな彼等をうふふ、と笑いながら見送るとの方へくるりと返り、
「さん?」
「は、はい!」
そこには悪魔がいる。
「後で、職員室へいらっしゃいな」
「はい……」
やはりうふふ、と笑いながら優雅に去っていく。
―――かと思いきや、障子戸に手をかけたところで顔だけ振り向いた。
まだなにか言われるのか、とびくびくしていただが、その口から出てきたのは意外な言葉だった。
「さん、おめでとう。よかったわねぇ」
「は……あ、ありがとうございます!」
まさか祝ってもらえるなど露ほど思っていなかった。
は深々と頭を下げて礼を言った。
が、最後にはやはり容赦ない一言。
「でも、それと罰則は話が別ですからね?」
「ですよねー」
ははは、と渇いた笑みを浮かべながらシナを見送った。
月明かりが優しくを照らしていた。
最後の最後で一悶着あったが、これにて一先ず一件落着。
彼、久々知兵助と彼女、の恋物語はこうして幕を閉じたのである。
大丈夫?瞳が薔薇色だよ