僕の姉は麻薬です。

ああでも別に、クスリ漬けになってるとか大麻所持とかそういうんじゃありません。
ただ、姉は麻薬のように病み付きになるほど魅力がある人なんです。
あ、言っておきますけど僕シスコンじゃありませんよ?
むしろ姉のことなんか大っ嫌いですから。
最大の苦痛を与えて殺したいほどに。

まあそれはともかく、姉は非常に優秀な人間でした。
教師受けはよく、近所での評判も上々。
年上は敬い、年下は庇護し、親の手伝いもよくするし、弟の僕にも優しい。

成績優秀、品性方向、容姿端麗、文武両道。
三拍子どころか四拍子も五拍子もそろってるような人間で、これ以上完璧な人間はいないんじゃないかって言うほど優秀な人間でした。
天は二物を与えずっていうのは嘘ですね。

誰にでも分け隔てなく接し、男女ともに人気がある、そんな人でした。
ですから、姉がモテるのも当然の道理というわけです。
いささか時代錯誤なラブレターをもらうことも、道端でナンパされることも、
漫画のように親衛隊やファンクラブがあるのもすべて当然のことなのです。

もちろん、そんな姉は僕が幼い頃にはとても自慢でした。
これだけすばらしい姉をもっていたのですから、当然のことでしょう。
とても鼻高々でした。

それだけで済んでいれば、よかったんです。
完璧な姉がいる、ただそれだけのことであったなら、僕はきっと幸せであったでしょう。

けれど違うのです。
人々に笑顔を振りまく姉は、まさしく麻薬でした。
姉の笑顔を見た人間は、老若男女問わずその笑顔に魅了されました。


「その笑顔をもっと見たい」
「自分だけに笑ってほしい」


そんな思いを抱くような人間が続出しました。


「今日は姉の笑顔が見れなかった」
「今日はどこか元気がなかった」


それだけで人々は嘆き、悲しみました。
それだけならよかったのですが、やがて彼らは姉の笑顔を曇らせる原因を探すようになりました。


たとえば、姉がテストで学年1位じゃなかったとき。

彼らは1位になった人間を殺しました。
いえ、殺したというのは語弊ですね。
1位になった人間に、姉の元気がなくなったのはお前のせいだと言ったのです。
その1位だった人間も姉のことが大好きでしたから、彼は自分の犯した罪を知り、自ら命を絶ったのです。
そうして姉は常に1位であり続けました。

あるときは校庭に転がっていた石に躓いて姉が転びました。

言い忘れていましたが、姉はドジッ子要素も兼ね揃えているのです。
はい、完璧にモテ女ポイントを押さえていますね。
これが計算ではなくただの天然なものですから、始末におえません。
ともかく、彼らは姉が怪我をする原因となった石を彼らは拾い上げました。
また転ぶといけないということで、ほかの石も次々と除去されていきました。
草に足をとられるといけないということで草取りもされました。
おかげで校庭は一晩で雑草も生えていなければ石も転がっていない、それは綺麗なものとなりました。

またあるときは、とある犬が姉に対して吠えたことがありました。

姉の麻薬のような笑顔は動物にも有効なのでこれは実に珍しいことなのです。
ですから姉は酷く驚きました。
何しろ生まれてこの方吠えられたことなんて一度もなかったのですから。
可哀相なことに、次の日犬は無残な姿で見つかりました。
ええ、ええ。お察しの通り彼らがやったのでしょう。
もちろん、姉はそんなこと知りはしないのですが。



お分かりしてもらえたでしょうか?
そうです、彼らは姉を苦しめるもの、泣かせるもの、危害を加えるものを徹底的に排除していったのです。
いかがわしい宗教の信者でさえ、ここまで徹底してはいないのではないでしょうか。
まったく恐ろしいものです。

ところで、僕がどうして姉のことが大っ嫌いなのかをまだ話していませんでしたよね?
答えは簡単、姉のせいで僕は酷く虐められていたのです。

いえ、虐めだなんて生易しいものじゃありませんね。
あれはただの暴力でしょう。

最初の頃、僕がまだ幼い頃はまだよかったのです。
姉の弟ということで優遇され、優しく接してもらえました。

けれど、そうあったのもつかの間のこと。
何度も申し上げているように姉の笑顔は麻薬なので、姉の笑顔を四六時中見ていたいという方々から写真がほしいと要求されました。
戸惑いながらも、まだそのころは姉のことを慕っていたため純粋な心で渡していたのです。
大好きな姉のことをもっと知ってほしい、と。

そうしていくうちに、やがて欲しいと言ってくる人数が増え、要求してくる種類も増えました。


「笑顔が欲しい」
「寝顔が欲しい」
「真剣な姿が見たい」
「怒っているときの顔」
「泣いている姿」


彼らの欲求は、留まることを知りません。
下世話な話をすれば、中にはお風呂に入っているところや下着姿を写真で撮ってこい、などという要求もありました。
もちろん要求してくる人間は男女問わずです。

はじめは快く了承していた僕ですが、そうなるにつれて要求に応える事は困難となっていきました。
当然です。
そんな盗撮紛いのことを何度も出来るはずがないのです。

ですから要求を断りはしたのですが、受け入れてもらえません。
姉が欲しい、もっと欲しいとまさに麻薬中毒者のごとく僕に要求してきました。
尊敬する姉の写真をそんな使用目的が不明なのに渡すことは出来ない、首を横に振れば、彼らは僕に暴力で訴えてきました。

街中を連れ回され、誹謗中傷に下劣な嗤い声。
服の下の目立たない部分への攻撃。
それでいて、姉の前ではごく普通の心優しい友人を演じていたのですからたいしたものです。

当然、姉に訴えても彼らがそんな酷いことをするわけないと一蹴されます。
両親もただ笑い飛ばすだけです。


僕は姉を恨みました。
もう誰も信じられません。

姉が麻薬であるから、彼らは僕を襲うのだ。
姉が麻薬であるから、彼らは僕を蔑むのだ。
姉が麻薬であるから、僕は不幸なのだ。
姉が麻薬であるから、僕は孤独なのだ。

お門違い?
いいえ、僕はそう思いません。
すべての元凶が姉であることに間違いはないのです。





そんな姉が、突然消えました。


ある日、何の前触れもなくその消息がぷっつりと途絶えてしまったのです。
姉の周りの人間は発狂しました。
その姿は麻薬の切れた人間そのものです。
姉を探してあたりを彷徨い、目を虚ろ、髪はボサボサ、以前渡した写真をただただ見つめ続ける日々。

けれど、僕は酷く安心しました。姉がいなくなったことによって、僕に姉に関することを要求してくる人間がいなくなったのです。
これがなんと嬉しかったことか!
悲しんでいる父さん母さんには悪いのですが、僕は踊りだしたいほどに幸せでした。
姉のいない生活のなんと素晴らしいこと!
ああ幸せです。


しかし、1週間もすればその生活も終わりを告げました。
姉を求める彼らに、僕は呼び出されます。
訝しむ僕に、呼びつけた彼らは一斉に暴力を振るい始めました。
なんでも、姉がいなくなった原因は僕にあるということ。
なんと勝手な理由でしょうか!彼らは姉がいないという鬱憤を、不満を、僕に暴力を振るうことで発散しようとしているのです。

抵抗しても、多勢に無勢。
何とか殺されることだけは免れたものの、僕はそれから毎日感情の捌け口とされました。
殴られ蹴られ、石を投げられ罵詈雑言。
欲望の押し付けで犯されそうになったこともありました。
これならば、姉がいた頃の方がまだましというもの。

ああ絶望。
この世は結局僕にとって地獄でしかなかったのです。



そしてこの状況に耐え切れず、自殺しようとしていたまさにそのときでした。
僕の目の前に姉が現れたのは。
いえ、違いますね、正確には僕が姉の前に現れたのです。

姉は異世界に渡っていました。
異世界……道理で彼らが血眼になって探しても見つからないわけです。

姉は突然現れた僕に酷く喜び、そして嬉し涙を流しました。
僕が姉のことを大嫌いだったとしても、姉は僕のことを普通に家族と思っているのですからまあそれは普通のことなのですが。

そんな姉とは対象的に、僕の心は冷え切っていました。
世の何と無情なことか!
僕に平穏はないのでしょうか。
どこへ行っても―――それこそこんな異世界に来たとしても僕には姉の影が付き纏うのです。
平穏無事になんて、暮らせやしないのです。




この世界について、様々なことを姉に教えてもらいました。

室町時代、戦、忍者、城、町、衣服、百姓、食事、情勢。
くだらないことから重要なことまで、それは楽しそうに教えてくれました。
明らかに平和的でない単語もその中に含まれているのですが、姉は笑っています。
呑気なものですね、遊んで暮らしているなんて。

そんな中で、僕の心が惹かれたキーワードがひとつ。

「戦」

それはつまり、人死が半日常的に身近で起こっているということ。
これを聞いて、僕はほくそ笑みました。
だってそうでしょう?
なんと言っても姉を自然に、他人任せに高確率で殺すことができるのですから。
神様は僕の味方だったのかもしれません。
こんなにも早く姉を殺す機会が巡ってきたのですから。





前に言った台詞は撤回します。
神は僕の味方などではありませんでした。

神は姉の後ろについているのです。
そうでなければおかし過ぎます。

だって、姉は死ななかったのですから。


昨日、姉を合戦場へと誘い込みました。
もちろん、後で姉の信者達に怨まれても困るので、バレないようにコッソリと誘い出したのですが。


姉を戦場のど真ん中に放り出しました。
矢が飛び交い、刀や槍のぶつかり合う音と悲鳴怒声叫び声が絶え間無く聞こえる渦中に。

しかし。
そうです姉の麻薬の如く―――いえ、それ以上の力で、争っていた者たちは武器を捨て、姉を取り囲みました。
それはもう既に、幾度となく繰り返されてきた光景です。
恍惚とした顔で、姉を見つめる足軽達。

後はみなさんのご想像通り。
姉はかすり傷一つ作ることもなく、無事に学園へと帰還しました。

ここまでくると、もうどうしようもあません。
あとは僕が直接手を下すしか、手段は残されていないでしょう。


決断は早く済みました。
どうして今まで踏ん切りがつかなかったのか不思議なくらいあっさりと、姉を殺そうと決意したのです。

一度決めてしまえば、後はもう簡単なもの。
計画を練り上げ、実行するだけです。
計画といっても簡単なもの。
単純で粗雑な方が、案外上手く事が運ぶというものです。

とはいえ、人殺しを犯すときに1番難しいことは人を殺すことです。
人間、その命を絶たれそうになれば誰しも抵抗するもの。
騒がれ、助けを呼ばれてしまえば殺されるのは僕の方でしょう。
死体が見付かることも論外です。

けれど、それらの問題は解決済みです。
人を呼ばれる前に姉を殺し、尚且つその死体を発見させない。
そんなピッタリの殺人方法があったのです。

後は、姉が天に帰ったとでもいう話でもしておきましょう。
姉を天女と信じて疑わない彼らです。
きっと信じることでしょう。

それでは、早速実行することにしましょう。





さてさて、ここは裏々山の麓です。

事前調査の結果、今日はどの学年も学園外での実習はないらしいので、邪魔が入ることはないでしょう。
が、サクサク進めましょう。



「姉さん」
「なあに?」



こてん、と首を傾げる姉。
僕の言葉に何の疑いを持つこともなくここまで付いて来ました。

この姉に、麻薬のような性質さえなければ。
普通の人であったならば。

僕はきっと、姉を慕い敬い憧憬の情をもって接することが出来たでしょう。
けれど、そうじゃなかった。

だからこそ、



「貴女のこと、殺したい程に大嫌いでした」



とん、と姉の身体を軽く押す。
それだけで、足元の草むらに隠れていた古井戸の中へ、あっという間に落ちていきます。
数秒の間もなく、底に落ちた鈍い音。
呻き声が聞こえました。

うるさいですね。

近くにあった大きな石を落とします。
ぐしゃり。
何も聞こえなくなりました。

後はかき集めた落ち葉を底に入れるだけです。
そうしたら、元あったように、木蓋で蓋をして。
これだけで終わりです。

なんて呆気ない最期でしょう!

あはははははは。

笑いが止まりません。

あはは、あは、あははははははははははははははははは。

ああやりました!
僕はやりました!

これで僕の人生も安泰です。
これで姉の信者たちから迫害を受けることもなくなったのです。
これで僕は自由なのです。

もう何の心配もありません。
世界こそ違いますが、僕はこの世界で何の心配もなく幸せに暮らしていけるのです。

姉が元の世界に帰ってしまったという勘違いをして悲しみにくれている方々もいるようですが、そんなことは僕には関係ありません。
やっぱりわが身が一番ですから、知ったことじゃありません。

ああでも、喜んでくれている方も少数ですがいらっしゃるのですよ。
なんでも大切な人たちを姉に盗られていたのだとか。
僕は彼らに大変感謝されました。
僕のおかげで助かったと。
彼らは僕がこの世界で生きていくために、手助けしてくださるそうです。
人間不信になりかけていた僕ですが、彼らのような人間もいるということは、まだまだ人類も捨てたもんじゃありませんね。
ちょっと見直しました。

ああこれで本当に僕は幸せになれるのです。
すべての元凶であった姉が消えたのですから。
これでおしまいです。
そして僕の人生はここから始まるのです。













これで終わり、ここから始まり。