鶴町伏木蔵というのは、実に嫌な奴だとあたしは思う。あいつの嫌なとこ ろなんて挙げていけばキリがないけど、挙げるとすればまず始めにその性 格ね。奴はろ組だというのに、あたしと話すとき常に嫌みや皮肉を言って くるところはい組のようだし、「すごいスリルー」なんて言いながら危険 なものへと突っ込んでいく様は、は組なのかと言いたくなる。まあ、根が 確実に腐っていそうな暗い奴だからろ組で間違いはないんだろうけど。ほ んと、あの性格には苦労させられるわ。ところで、伏木蔵の所属している 委員会、つまり保健委員会は総じてお人好しの集まりだって言われてるけ ど、あいつだけは例外ね。確かに保健室に来た下級生には優しく接してい るし、同級生である下坂部や初島、二ノ坪たちにはなにかと気にかけてい るみたいだけど、面倒の多い委員長をは組の猪名寺に押し付けているし、 いろんな場面でいちいち細かいし、人の失敗を発見しては指差して笑って くるし。それに!なによりも!あたしが、彼女が風邪を引いて寝込んでい るというのに見舞いの一つにも来ないなんてまったく酷い奴!



「……伏木蔵のばぁか」



誰にも聞こえないような小さな呟きを口の中で漏らした。あたしは今、風 邪っ引きの真っ最中。ずっと寝ているせいで重病人にでもなった気分だけ ど、症状としては微熱がずっと続いてるだけ。これは毎日出される超絶苦 い薬のおかげなんだと思う。でも風邪を引いてかれこれ3日。彼氏がお見 舞いに来たっていい日数は寝込んでる。それなのに伏木蔵は来ない。…… 別に、あたしだって「伏木蔵が会いに来てくれないとやぁだー!」なんて 、駄々をこねたりするわけじゃない。ていうかなにそれ。キモ。ただ、風 邪で苦しいときは少々人恋しくなったりもするわけよ。絶対に口に出した りはしないけど。そんなあたしの心情はさておき、恋人が風邪を引いたら 様子を身に来るのが一般的な彼氏彼女の関係だとあたしは思ってる。実際 そんな感じでしょ?だから辛い中、いつもは嫌みったらしい伏木蔵でも、 もしかしたら優しく看病してくれるかも……なんて淡い期待に浸っていた わけよ。だってあいつ保健委員だし。だってあたし仮にも彼女だし。今病 人だし。ちょっとばかり期待したってバチは当たんないわ。だけど伏木蔵 は来なかった。寝ても覚めても来なかった。微熱なんだから気にせず授業 でも受けて、ついでに(あくまでもついでよ?)伏木蔵に会いに行こうか と思えば、新野先生からは絶対安静を言い渡されて動けない。そんな状況 だからこそ、なぜ伏木蔵が見舞いに来ないのか?とか考えちゃうのよね。 頭だけは元気に冴えてるんだから、もう。風邪を引いたその日には、忙し い、もしくはあたしが風邪を引いたと知らないのかとも思ってた。だけど 翌日、気を利かせた保健委員が伏木蔵に教えたと言っていたし、ちょうど 大きな課題が終わったばかりなのでそんなに忙しくはないはず、とたまた ま保健室を訪れた初島が言っていた。ということはつまり、伏木蔵はあた しが風邪を引いたと知っていて、更に現在暇なのだ。それなのに寝込んだ 彼女のもとへ訪れない、と。あれ、あたしたちって付き合ってるんだよね ?と当番だった猪名寺に思わず聞いてしまったあたしは悪くない。



「あーもう、なんなのよ伏木蔵の奴!何考えてんのよっ!」
「まあまあ、ちゃん落ち着いて。風邪が悪化しちゃうよ?」



ふつふつと溜まっていた今までの鬱憤を音に出して発散すれば、猪名寺に 宥められてしまった。だって、なんだかもやもやしていてすっきりしないんだもん。



「でもさ、一度も顔出さないのよ?あいつ。コイビト同士だっていうのに 。……別にさ、あたしだってどうしても来てほしいわけじゃないの。本当 は初島たちが知らないだけで、すっごく忙しいのかもしれないし。伏木蔵 が他人のために動くっていう性格じゃないって知ってるし。でもさ、やっ ぱり彼女なんだからちょっとは特別扱い……とか、してほしいなぁ、なんて」



ごにょごにょと布団に顔を埋めながらぼやく。あーもう、猪名寺なんかに なに話してんだろ、あたし。それもこれもすべて伏木蔵が悪いんだ!…… なんであたし、あんな奴と付き合ってるんだろ。

付き合うきっかけを作ったのは伏木蔵の方……に、なるんだと思う。だけ ど、伏木蔵は本当にあたしのことが好きなのかな……。好きだって言われ たわけじゃないし、そんなそぶりも見せないし。それどころか、いつもあ たしのことを馬鹿にするし。まだ一度もデートとかしたことないし、もち ろんそれ以上のことだって。



「ねぇ、猪名寺」
「なに?」
「あたしと伏木蔵って、付き合ってるって言えると思う?」
「……どういうこと?」
「あのね、実はあたし、好きだって言われたことないの」
「え………本当に?」
「うん」



付き合い始めたきっかけは、たぶんあたしの愚痴が原因。その頃、なぜか くのいち教室はちょっとした結婚ラッシュだった。まあ適齢期だし、おか しくはない。故郷にいる許婚と婚姻を結んだり、恋人である忍たまと卒業 したら夫婦になると言い出す子がいたり。次々と結婚する子、相手が決ま る子が出てきてた。なのにあたしにはそういう相手がいないし、そもそも 生まれてこのかた恋人がいたためしがない。あたしにはそんなに魅力がな いのか、と伏木蔵に愚痴っていたのだ。



「あーあ、誰でもいいからあたしと付き合ってくれないかなぁ。このまま じゃ嫁き遅れちゃうよ」
「なら告白でもすればいいのに」
「好きな人もいないってのに、どうしろっていうのよ」
「……へぇ。いないんだ、
「いないわよ。悪かったわね!」
「モテないからって人に当たるのはどうかと思うけど」
「いいのよ、あんた相手なんだから」
「じゃあさ、
「……なによ」
「付き合ってみる?僕と」



そんな風にして始まった付き合い。お互い知らない仲じゃなかったし、あ たし的に伏木蔵は「アリ」だったから、そのまま交際はスタートした。だ というのに、それからたいした進展はなかった。食堂で一緒にご飯を食べ る機会が増えたり、あたしが保健室を頻繁に訪れるようになっただけ。



「……ちょっと待って。これってひょっとしなくても友達の域を出てない わよね、あたしと伏木蔵。え、ろ組の連中と同レベル?」
「そうだねぇ。扱いに差がないし」
「……のほほんとした顔してるけど、結構はっきり言うわね、猪名寺」
「だって本当のことでしょう?」



うぐ、と言葉を詰まらせる。そのまま布団に包まって丸まれば、なんだか さっきより熱が上がってきたような気がした。―――こんなに伏木蔵のこ とを考えてるなんて、いつの間にかあたし本気になってたんだなぁ。より にもよってあんな奴相手に。ただの仲の良い友達の一人だったはずなのに 、真剣に好きになりはじめてる。だけど、伏木蔵は違う。性格の悪いあい つのことだから、あたしと付き合ってるのだって面白半分気まぐれ半分に 違いない。あーあ、自覚したとたんに失恋かぁ……と心の中で小さく呟いた。



「大丈夫。伏木蔵はちゃんとちゃんのことが好きだよ」



心を読んだような猪名寺の発言に、びくっと思わず肩が震えた。もぞもぞ と動いて布団の中にいた耳を外気に晒す。うん、よく聞こえるようになっ た。
……べつにそんなに聞きたいわけじゃないけど。ちょっと気になっただけよ。



「さっきちゃん、どうして伏木蔵がお見舞いに来ないのかって言ってたじゃない」



独り言のように続ける猪名寺。



「伏木蔵はね、ちゃんの知らないところでちゃんのために色 々とやってるんだよ。……これは口止めされてるんだけど、実は今まで飲 んでた薬は伏木蔵が調合したものなんだ」
「……保健委員なんだから、そんなの当たり前じゃない」
「いいや。あの薬の材料はとても高価で、保健委員会の予算じゃとてもじ ゃないけど買えないよ。10錠作るのに食券約1ヶ月分だからね」
「は?そんなのどうやって……」
「裏々々山に自生してるんだ。ほんの少しだけね。薬草は日持ちしない種 類だから、作ったその日のうちに調合して服用するのが望ましい。その方 が効き目も高いしね。だから伏木蔵、毎日取りに行ってるんだ。遠いから 一日かかるっていうのに、欠かさず」
「……それで?」
「伏木蔵はちゃんにぞっこんってこと」



にっこりとイイ笑顔で話を締め括った。ちょっと待って、あの伏木蔵が? ありえない!想像を超えた事実に顔が熱くなる。あたし、明日からどんな 顔して伏木蔵に会えばいいのよ……!どうすればいいのかわからなくなったあたしは、



「今どき"ぞっこん"なんてセリフどうかと思うわよ、猪名寺」



微笑みながらこちらを見ていた猪名寺に、苦し紛れにそう返すだけで精一杯だった。













思い通りにいきやしない