そう、はっきり言えば油断していたのだ。
お頭が溺れるのは日常茶飯事で、毎回なんだかんだ騒ぎながらも結局は怪我一つなく助かっているものだから、
今回もきっとそうなのだとなんの根拠もなく信じ切っていた。
数刻前のそんな自分に、何て馬鹿なことを!と罵ってやりたい。

本当に俺はなんて馬鹿だったんだろう。
自分達の頭が溺れて、死んだというのに。

なに一つ、出来やしなかった。

様子がおかしいと気付いた頃には既に手遅れだった。
ああ、重が泣いている。
網問や間切もだ。



「お頭ぁっ!」



誰かがまた、泣き声を上げた。
だけど、お頭が返事することはない。
どうして、どうしてお頭だったんだ……!
オレだったら、オレだったらよかったのにっ!



「どいてください」



ふいに、涼やかな声が聞こえた。
野郎共の鳴咽や慟哭が辺りを占めていたというのに、その声は不思議と通った。
音が発せられたであろう方向を見ると、不思議な衣を纏った女が立っている。
町娘が着ているそれや、大名の姫様が着るようなそれとは全く違う、ふわふわと重さを感じさせないものだった。



「て、天女……?」



誰かが小さく呟いたのが聞こえた。
もしかしたら呟いたのは自分かもしれない。
呆然とその女を見ていた。
天女とおぼしき女は、正面を見据えたまま再び口を開いた。



「早くどいてください。その人を死なせたくはないのでしょう?」



その声を聞き全員がはっと我に返り、急いで道を開ける。
女はお頭に駆け寄り、起きるように呼び掛けた。

返事はない。

当然だ。
既にお頭の心の臓が止まっていることは蜉蝣さんが確認したのだから。
けれど女はそれに眉を寄せただけで、直ぐさま別の行動に移った。
なんと、お頭の上衣を脱がせ、胸をまさぐっていたのだ!
どよめく俺達を気にもせず、小さく何かを呟いたかと思うとそのままお頭の唇に自身のそれを近付け―――口吸いを、した。
普通なら、それは好き合う者同士でやるもの。
しかし二人の間にそんないやらしさや生々しさは一切なく、それはまるで一種の聖なる儀式のようでもあった。
女は……いや、天女様はそれを再度繰り返すと、お頭の胸に手を置き、押し始めた。
その間、死んだはずのお頭に歌うように問い掛けている。



「お前はなんのために生まれた?」
「なにをして喜ぶ」
「わからないまま終わるつもりか?」



口吸い、問い掛け、胸を押す。

何度繰り返しただろうか。
誰ひとり言葉を発することなく、固唾を飲んでその様子を見守っていた。
母が子を慈しむような優しい目で、天女様は儀式を行っている。
長く長く感じられたが、実際のところはたいして時間は経っていないだろう。

そして、変化が訪れた。



「ぅ、げほっ……ごほ、がはっ」
「お、お頭……?」
「は、げほっ……ど、したよ。なに、泣い、ごほっ!」



むせ返りながらだったけれど。
小さく弱々しい声だったけれど。

お頭は確かに、返事をした。

二度と開かないはずの瞼は開き、心の臓も動いている!



「うおおぉぉおっ!!」
「かしらぁっ、お頭ぁ!」



一斉に雄叫びを上げ、歓喜した。
一度死んだ人間が生き返るだなんて、これは神の御業……天女様が起こされた奇跡だ!



* * * * *



気付いたらそこは別世界だった。

よくある小説のよくあるシチュエーションのよくあるワンフレーズ。
でもそれは、あたしの身に起こった事実だ。

今まで学校にいたはずなのに、ふと気がつけば海辺にいた。
しかも、ドレスを着たまま。
ひらっひらのやつよ。
なんでドレスなんか着てるかっていうと、文化祭の劇でシンデレラの姉役をやっていたからだ。



「シンデレラ?シンデレラ!どこにいるの?早く来なさいよシンデレラ!」



呼び掛けてもシンデレラが来るはずはなかったんだ。
だっていなくなったのはあたしの方。

本当に、なんの前触れもなくあたしは移動していた。
薄暗い舞台袖から、日の光がさんさんと降り注ぐ海辺に瞬間移動。
クローゼットに隠れたりも、便器に吸い込まれたりも、ピンク色の扉をくぐり抜けたりもしてないのに。
なんで?意味分かんないし。



「ここ、どこよ」



思わずぼそりと呟く。陸の方を見渡せば、小屋が一軒建っているだけで他にはなにもない。
電柱も立ってないってどんだけ田舎。
海の方を見渡せば、押し寄せる波と木で出来た船。どんだけ旧式。

そして、人だかり。

……あの人たちに、ここがどこなのか聞いてみよう。
こんなひらひらドレス着てるから不審な目で見られるかもしれないけど、背に腹はかえられないわ。
早いところ状況を確認して、今後の算段をつけなくちゃ。
ここが何県なのか、そもそも現代日本なのかもわからないけど、動き出さなきゃ始まらない。

砂に足を取られそうになりながらも、人だかりに足を進めていく。
それにしたって、みんなで何を囲んでいるんだろう?
もしも亀をいじめていたら、それは話違いだ。
あたしはシンデレラの姉であって浦島太郎じゃない。

近付けば、なんだかおかしかった。
主に服装と様子が。
え、時代劇の撮影とかじゃないよね?カメラないし。
まさに海の男!みたいな感じの人たちがそろって大声で泣いたり、沈んだ顔をしている。
これはいったい、何事?



「………、っ!?」



隙間から覗き込めば、人が倒れているのが見えた。
まさか、水死体……?

いやいやちょっと待て。
水死体にしては綺麗過ぎるわ。
ぶよぶよしてないし。

きっと溺れたんだ。
胸が上下してないから多分心停止。
でも様子からして溺れたてほやほやだからまだ助かる見込みはある。
てか、なんで誰も心肺蘇生やんないのよ!
知識がないわけ!?
救急車が来るまでは心臓マッサージしてなきゃなんないっていうのに……!



「どいてくださいっ!」



気が付けば、そう叫んでいた。
全員が一斉にこちらを向き、ぽっかーんとした表情で見てきた。
うっわ何コレ、恥ずかし。羞恥プレイか!

でもそう思ってもいられない。
これは人命がかかってるんだ。
ぐっと下腹に力を込め、もう一度言った。



「早くどいてください。その人を死なせたくはないのでしょう?」



そう言えば、我に返ったのか慌てて道を開けてくれた。
急いで駆け寄り、脇に座ってまずは意識確認。
さっき遠くから見たときに動いてなかったから無駄だと思うけど、こういう時こそしっかりした手順を踏まなくちゃ。
あたしは素人だから、なおさら。

……うん、意識なし。
気道確保。相手の鼻に頬を近づけ、目線は胸に。
呼吸なし、心停止。

条件は満たされてしまった。

いよいよだ。
落ち着け、あたし。
大丈夫、授業の内容はこの前やったばかりだからしっかり覚えてるもの。
実践は初めてだけど、何とかなるわ。
女は度胸!



「まずは、心臓マッサージ」



小さく呟いて胸をはだけさせ、手を当てる。
周りがざわめいたような気がするけど、そんなの構ってらんない。
30回、テンポよく押していく。
早さはたしかアンパン男マーチだったから、小さく口ずさみながら行う。
間違えないようにね。

次に、人工呼吸。
………初ちゅーとマウス・トゥ・マウスは別物よ!
さすがに躊躇したが、一瞬で覚悟を決める。
顎を支え、一気に息を吹き込む。

―――よし、上手くいった!

再び人工呼吸をし、心臓マッサージへと移る。
前に読んだ漫画に、心停止してから1分経つごとに生存率が10パーセント下がると書いてあった。
この人が溺れてから何分経ったか知らないけど、助かる範囲であってほしい。
そうでないと、このパンパンになった腕をどうしてくれる!
明日は絶対に筋肉痛だわ……。


そして、何度繰り返しただろうか。
やっと、




「ぅ、げほっ……ごほ、がはっ」



意識が、戻った……!



「お、お頭……?」
「は、げほっ……ど、したよ。なに、泣い、ごほっ!」



意識正常、異常なし。

ふぅ、と大きく息を吐き出す。
あーもうだめ、腕動かせないわ。
小さく呟きながら、目の前で繰り広げられる感動劇を眺めた。

あたしが助けた髭面のオッサン、いろんな人に慕われてるんだなぁ。
みんなすごく嬉しそうだ。
それにしたって呼び方が「お頭」だなんて、まるで海賊みたいだ。
……日本に海賊なんていないから、きっと漁師さんたちの集まりとかなんだろーけど。

―――さて、無事助けられたことだし、本来の目的に戻んなきゃ。
そう思って近くにいた男の人に声をかけようとしたら、



「天女様、どうもありがとうございましたっ!」
「わざわざこんな所へお越しいただいたというのに、なんのおもてなしも出来ずに……」
「お目にかかれて至極光栄ですぅぅう!」
「お頭を生きながらえさせてくれたこと、なんと御礼を申し上げればよいか……!」



―――コレ、ナニゴト?













命あっての物種