春になると、桜が咲く。
そして散る。

そんな当たり前のことに、何故だか無性に泣きたくなる。


私にあの頃の記憶が蘇ってきたのは、そんな桜に蕾がつき始める頃だった。

思い出してからようやく一年。

それはあの頃でいう学園を卒業した年、ちょうど15歳を迎える年の初春のことだ。
芽吹く前の桜をふと、何気なく見た瞬間にすべてを思い出した。
あまりに膨大で、濃厚な記憶。思い出の数々。
それらに圧倒され、気がつけば涙が溢れていた。
ああ、こんなことが起こり得るのだ、と感極まったのかもしれない。

ただただ立ち尽くして桜を見つめ続け、その後私は不覚にも気を失ってしまったらしい。
母親が大袈裟に騒ぎ立て、入院までさせられたことは苦い思い出だ。
そのことが原因で両親はひどく過保護になり、この学園へ入ることの許可をもらうのにずいぶん骨が折れた。



* * *



学園へと向かうバスの中。
学園はとある山の中にあるものだから、専用のバスに乗らなくては辿り着くことか出来ない。
普段生徒は寮で生活しているのでバスが利用されることはほとんどないのだ、と出発前に運転手が言っていた。

ということは、このバスに乗っている人間はすべて新入生なのだろう。
ほとんどの者がまだ糊のきいた制服を着て、不安と期待の入り混ざった表情でバスに揺られている。
比較的早い時間帯なのか、座っている人間は疎らだ。

だからこそ、その男は酷く目立っていた。

男は車内の一番奥の席、五人掛けの椅子の端に座り、参考書を開いている。
それが一ヶ月前、受験前であるならばなんら不自然はない。

しかし今日は入学式。
ようやく勉強から解放され、新しい生活が始まるというのに。
奇妙な男だ。
よもや、今から授業に向けて予習でもしているのだろうか。
ふと同じ委員会にいた3歳年下の後輩を思い出だした。
そういえば予習復習のわからないところをよく教えてやったな、と。
だがしかし。

(まさか、な)

自ら思い付いた考えを直ぐさまに否定する。
だいたい年下だったじゃないか、あいつは。
それにいくら私がこうして記憶を持って生きているとはいえ、同じ境遇の者がいるとは限らない。
いや、むしろいる方がおかしい。
こんなことがそうそうあるはずがないのだ。

そこまで考えたとき、男が顔を上げた。
あの後輩のような男は一体どんな顔をしているのか、と気付かれないようにそっと観察してみる。

同じ新入生、15歳にしては老けた顔だ。
いや、老けているというより隈が酷いのか。
目の下には隈がくっきりとついている。
まるで犯罪者のような面構えじゃないか、と小さく笑ったところで違和感を感じた。

(似て、いる……?)

同室の男とそっくりじゃあないか?あれは。
参考書を閉じ、頬杖を突きながら窓の外を眺めている男。
別人とは到底思えない。
記憶の中の顔と比べれば比べるほどにそっくりだ。
異なる点は髪の長さぐらいじゃないだろうか。

確信した。

あれは、



「おい、文次郎。入学式だというのにその隈はなんだ。まるで犯罪者のようではないか」
「…………は?」



気がつけばつかつかと歩み寄り、腰に手を当てそう言い放っていた。
そんな私に目をぱちくりと瞬かせる文次郎。
女子供ならともかく、この男がその動作をしたところで可愛いげも何もあったものじゃない。似合わない、のただ一言に尽きた。
はっきり言って間抜け面だ。
私はその間抜け面を見下ろしながら、ニヤニヤと笑う。


―――後から考えれば、かなり馬鹿な真似をしたと思う。
いくら顔が瓜二つであったとしても、この男が文次郎であったとは限らないというのに。
まったくの赤の他人、それこそ、他人の空似という可能性だってあったというのに。
我ながら、思ってもいなかった者との再会に舞い上がっていたのかもしれない。



「お前は……まったく、もう少し普通のことは言えんのか」
「なんだ?お前は私が、"会いたかった!"などと涙ながらに言って欲しいのか?文次郎」
「バカタレ。お前なんぞにそんな期待は抱かんわ、仙蔵」



軽口の応酬。
懐かしい。別れてから何百年が経つというのに、そんなことは一切感じられなかった。
学園にいた頃に戻ったかのようだ。



「文次郎、お前がここにいるということはもちろん入るのだろう?大川学園に」
「ああ」
「そうか。また、よろしく」
「、ああ」



文次郎の返事は歯切れが悪く、どこか素っ気なかった。
―――なにか、あったのだろうか。
柄ではないのでそんな思いを顔に出さずに、目の前の隈男を眺める。

どこかくたびれたように見えるのは、受験勉強の疲れが抜けていないからだろうか。
これでは高校生でなく寂れたサラリーマンだ。
だがしかし、私の知っている潮江文次郎はそんな疲れなど身に纏わない男だった。
もちろん、昔と今がまったく同じだと思うわけではないが。
それでも、この様子にはなにかあったのかと勘繰ってしまう。



「なあ、文次郎よ」
「なんだ?」
「伊作や長次たちとは会ったか?他の者たちに」
「いいや、会ってはいない」
「そうか」



それだけ言って、奴の隣の席にすとんと腰を下ろす。
ああ、バスの中の人口密度が低くてよかった。
これならば、多少大声で話をしたところでさほど迷惑とならない。

バスは山へと入り、カーブが続いている。
窓から見える景色は緑にちらちらと桃色が混ざっている。
ああ、桜だ。
そう考えて、ふと思い付いたことを口に出した。



「文次郎、お前は私と会いたくはなかったか?再会など、したくはなかったのか?」
「……いいや。そんなことはない」



やはり文次郎はどこかおかしい。
けれど、それが何なのかがわからない。
違和感の正体を掴めず苛々する。
くそ、あの頃であれば焙烙火矢の一つ二つぶっ放してストレス発散できたものを。



「なあ、仙蔵」
「なんだ?」
「お前、この記憶をいつから持ち合わせていた?」
「そうさな、一年前というところだ」



その言葉に文次郎は目を見開く。



「お前は、どう思った?」
「なにがだ」
「この記憶について、自分とそっくりの人間が忍をしていることについて、どう思った?」
「それなりに驚きはしたさ。だがまあ、納得もした」
「納得?」
「お前は感じなかったか?違和感というか、物足りなさを」



文次郎は口をつぐみ、俯いた。
バスはいよいよ頂上付近、学園へと近付いてきたようだ。
人工物が緑の間から顔を覗かせる。

入学式、なにかが起こりそうな予感がした。
バスは門を通り抜け、敷地内へと入っていった。
そして―――













予感は現実となった