やっぱり、声の主はきり丸だった。
きり丸は部屋の中心の、お藤さんと万作さんの死体に縋って泣いていた。

いつまでも、どんなことをしても起きない両親を必死に揺さぶりながら。
死が、理解できていないのだろう。
寝ているだけだと思っているようだった。

ごうごうと更に炎が燃え上がる。
そろそろ、崩れ落ちるか?やばいかもしんねぇ。

きり丸は背が低いのが幸いしてあまり煙りを吸い込んでいないようだ。
だけど、このままじゃじきに家は焼け落ちる。
そうなったら一酸化炭素中毒なんてもん関係ない。



「きり丸、ここは危ねぇ。早く、行くぞ」
「とうちゃんと、かあちゃんは……?」
「二人は………置いていく」
「だめ!いやだ!とうちゃんもかあちゃんも行くんだッ」
「無理なんだ、きり丸」
「いやぁだ!いっしょに行くのッ」
「きり丸ッ!」



俺の切羽詰まった声にきり丸がビクッと肩を震わせる。
きり丸はお藤さんと万作さんも連れて行くと言ってきかない。

けれどきり丸だって、頭の何処かでは理解しているのだろう。
二人がもう動くことはない、朽ち果てるだけの骸だということが。
それなのに、感情がその事実を受け入れることが出来ない。

聡い子だからこそ、余計に。



「きり丸」
「にい、ちゃ……」
「きり丸、辛いのはわかる。お藤さんと万作さん……とうちゃんかあちゃん置いてくなんていやだよな。離れ離れなんて悲しいもんな」



きり丸に言い聞かせるように話しながら、ここが長老の家だったことに感謝した。
他の家に比べて大きく、しっかりとした造りになっているからここまで崩れずに持ちこたえているんだ。
他の家だったら今ごろ俺達は焼死体になっていたところだ。

今も、耳を澄ませば近所の家の崩れる音が聞こえる。
テレビで聞くのなんかよりもずっと生々しい、死の音が近付いてくる。

やられてたまるか……!



「だけどな、きり丸。お前がこのままここにいたら、二人はもっと悲しむぞ。泣くかもしんねぇ」
「とうちゃんも……?」
「ああそうだ。とうちゃんも泣く。だから、早く行こう」
「また、あえる?いえにもどる?」
「お前が望むなら」



ぐっと袖で涙を拭き、きり丸は立ち上がる。



「いく」



強い奴だ。
死を理解する、それがどんなに難しいことか。


―――俺だって、未だに父さんと母さんが死んだことが受け入れられないというのに。

今、この状況が夢なんじゃないかって思っている。
往生際の悪い。これじゃきり丸のこと言えねぇな、情けねぇ。



にいちゃん?」
「ん、ああ悪い。……行くぞ」



と、言ってみたものの目の前は火の壁。
正直、三歳のきり丸を抱えて無事に通り抜ける自信はない。
俺も、きり丸も無傷ってわけにはいかないだろう。

でも、ここで足踏みもしてらんねぇ。だから、



「きり丸、こっちに来い」



よっこいしょ、ときり丸を両手でしっかりと抱える。
八歳の小さな身体でも、きり丸くらいならなんとかいける。
後は、突っ走って突破するっきゃないでしょう。



「いいか、きり丸。しっかり掴まっておけよ」
「う、うん」



目指すは外。出来ればちょっと離れた井戸までたどり着きたい。
そうすれば汲んでおいた桶の水を被れる。ここから一直線に進めば、そこは外だ。



「行くぞ」



すぅ、と深呼吸。そして―――



* * *



「―――くそッ、熱いんだよ!こんちくしょーめが!」
にいちゃん、いたい……」



とりあえず、俺もきり丸も無事だった。
やっぱり無傷じゃあないけど、生きてる。
俺もきり丸も、生きてるんだ。それだけで十分だろう。

神様仏様ありがとう!

なんてな。
無事にあの場を乗り越えられたことに、いるかどうかもわからない神に感謝してみる。

不謹慎ながらも、この身体が傷だらけじゃなけりゃきり丸と手を繋いでくるくると回り出しそうなくらいに俺のテンションは上がっている。
それは、単なる興奮からくるものなのか、それともただ、このやるせない現実から眼を逸らしたいだけなのかはわからない。
あー俺、ちょいやばいかも。
欝になりかかってるくせに、妙にテンション高いもんだから変な気分だ。
なんか深みに嵌まりそう。



「にいちゃん」
「ん、どうした?きり丸」
「おなかすいた……」



くぅぅと小さく腹を鳴らせるきり丸。
あー、そういえばもう夕方だもんな。そりゃ腹も減るわ。俺も腹減ったし。

思考と気分とテンションが、いつもの俺に戻った。
きり丸はまだ小せぇんだし、俺が気張らなくちゃいけないよな。
現実逃避なんぞしてる暇はありはしない。



「きり丸、とりあえず山へ行こう」



山に、俺のとった山菜が籠ごと放り投げてあるはずだ。
この炎があるから、動物が近付いて食べたってことはなさそうだしな。
山菜だけでも、腹ごしらえは出来る。
そうしたら―――墓を、つくらなきゃ、な。



山菜は予想通り無事だった。
家の中から無事な調理道具と、かろうじて残っていた食材を引っ張り出して作った。
こんなサバイバルみたいな料理なんかまともに作ったことがないもんだからほぼごった煮状態だったけど、
とりあえず食べられるものが作れたのでよしとしよう。
きり丸も不味いって言わなかったし!………美味しいとも言わなかったけど。

きり丸は腹が膨れて眠くなったのかうつらうつらと舟をこぎ出した。
まあまだ三歳だもんな。当然だ。



「きり丸、眠いんだろ?寝ていいぞ」
「……ぅん…」



そう言うときり丸はあっという間に寝息をたてながら眠ってしまった。
少しでも寝やすいようにと、ひざ枕する。
俺も一息つこうと、背中の木にもたれかかって空を見上げた。


(これから、どうしようか)


ふぅ、と思わず溜め息。

とりあえずはみんなの墓を作る、これは決定だ。
だけどそれ以外、心配なのは今後の生活だ。
食べるもの、着るもの、寝る場所。衣食住をどうにか確保して、お金も稼いで生きていくんだ。
だけどこの身体は八歳のちっぽけなものだから、そう簡単に上手くはいかないだろう。


(―――もうどうしようもなくなったときには、身体を、売らなくちゃいけないかもしれないな)


ここは現代と違うのだ、そういうことだってやろうと思えば、出来る。
まあこれは最終手段だから使わないことを祈るけど。
せっかく父さんと母さんからもらった大事な身体なのだし。


(―――父さん、母さん……)


寝ているきり丸の頭を撫でながら思い出す。
この世に生を受けて、育って、生きてきて、一番近くにいた人達。
家族だった人達。
大切な、人達。

鼻の奥がつんとなる。
ああ、やばい。俺、また泣くかも。



「なんで……なんで、なんだよ……!とうさん、かあさんっ」



もう十分泣いたはずなのに、哀しみに浸ったはずなのに、それでも後から後から涙が溢れ出てくる。止まらない。
なぜだろうか、わからない。
それでも悲しくて、哀しくて、寂しくて。
倦怠感が身体を占めて、虚無感と寂寥感が心を占める。


―――今すぐにでも、後を追って逝きたくなる。
そうすればきっと、こんな思いをせずともすむんだろう。こんな感情から解放される。

それでも、そうしないのはきっときり丸がいるから。
この膝の上の重みが、俺をこの世へと留めるもの。

だってきり丸はまだ三歳で、生きていく術なんかなに一つ知らない。
こうやって考えるのは、きり丸にすべてを押し付けているからだ。
きり丸が生きているから俺も生きる。もしきり丸が死んだのなら、俺も共に死ぬ。

そうやって、生きる理由を無責任にきり丸に放り投げるんだ。



「………ごめんな、きり丸」



俺、弱いんだよ。
みんなに頼られて、信頼なんかされてたけど俺、本当は弱いんだよ。
頼ってもらえるほど強かねーんだ。

でも、俺頑張るからさ。
弱いなりに気張って、強がって、虚勢張りながらお前のことを守っていくよ。
お前が一人前になるまで、兄のように父のように母のように―――一人の、家族として。

それから、もう二度と家族を喪わないためにも、俺は強くなる。
強くなって、きり丸を守ってやるからな。



そう、空の下で決意した。













窮地から見た世界は、案外、美しい