仕事で依頼主から裏切られたのは、なにも初めてじゃあない。
金を払うのが惜しくなったり、情報漏洩を避けるためだったりと理由は様々だが、これまでにも幾度かあった。

プロになって早数年。
それなりに腕には自信があったものだから、刺客が来ても退けられると思っていた。
過信、していたのだ、己の実力を。


(くそ……まさか、こんなところで……)



* * *



依頼主からの任務内容は、内部に間者がいないかを探ること。
よくある任務だ。

既に私自身、そこそこの経験を積んだので調査自体は手慣れたもの。
通常通りに任務を終え、報告書を書き、依頼主へと提出した。

―――なにがいけなかったのかはわからない。
だが、どうも私は知ってはならないことを知ってしまったらしい。
何も知らされぬままに口封じされるなど、たいして珍しいことでもない。

当然、依頼主は私を始末しようと刺客を放ってきた。
一人二人と、駆け抜ける私を追尾する気配が増えていく。


(どうやら、よっぽどまずい情報を知ってしまったらしいな)


月が照らす森の中、追っ手の数は全部で五人。
どう考えても、しがない忍一人に割り当てる人数ではない。
かなりまずい状況だ。

三人は格下、二人は同等。

人数的にはかなり不利だし、実力的にも決して余裕があるわけじゃない。
だが、それでも私は負ける気がしなかった。
それは慢心とも言えるが、事実、私は刺客全員を退けたのだ。


木を背にずるずるとしゃがみ込み、瞑目。
深くため息をつきながら安堵する。
少々傷を負ったが、どれも致命傷ではない。幾月か経てば癒えるであろうものばかりだ。

一息ついたら、このまま森を抜けて町へ逃げ込もう。
そうして傷を癒し、装備を整え、再び今回の依頼主の元へと行かなくてはならない。
己の身の安全を保証するために。


(だがもう少しここで――――ッ!?)


突然に察知した殺気。
だがどうにも気が付くのが遅かった。
襲い掛かってくる黒影を避け切れずに、肩から鮮血が溢れ出す。
一瞬の間を置いた後、痛みが脳髄に伝わってきた。


(まだ一人いたのか!?)


左手で傷口を押さえ付けながら右手で苦無を構える。
情況はかなりまずい。
先の戦闘で疲弊し、手持ち武器もほとんどなく、しかも傷を負ったのだ。
相手の力量も把握できていない。

逃げるか、応戦するか。

選択は二者しかない。
しかし、どちらを選んでも結果はあまり変わらなさそうだ。


(ならば)


行く途中に念のため、と仕掛けた罠のある場所を記憶から掘り起こす。
それほど凝ったものではないが、それでも足止めの時間は稼ぐことが出来るだろう。
その間に体制を整え、迎え撃つ。

今後の算段を弾き出すと、直ぐさまくるりと方向を変えて駆ける。
忍ぶ余裕すらなく、忍としてあるまじき行動―――草木を掻き分け、粉塵を巻き上げながら走り続ける。
もちろん、敵もそんな私をみすみす見逃すほど甘くはない。
迷いなく後を追いかけてくる。


(あと、少し―――ここだっ!)


「なっ!罠か!?」



敵を誘い込み、仕掛けを発動させる。
後は振り返らず、ただひたすらに走る。
とにかく前へ前へと足を動かす。

迎え撃とうと先程考えたが、どうにも無理そうだ。
こんな身体では、到底戦えない。
逃げるしかない。

ズキズキと肩が痛む。
が、そんなことに構っていられないのだ。
ここで足を止めれば、死ぬ。



気が付くと、森を抜けていた。
追ってくる気配がないことから撒いたことを悟る。
けれど、足を止めるわけにはいかない。
先程のようにまだ追っ手がいないとも限らないのだから。

空が白ずんできたのがわかった。
かなりの間、自分はただひたすらに走り続けていたらしい。
よくこんなにも長い時間は走り続けていたものだ、と我が事ながら感心してしまう。

しかし、そう意識し始めると途端に足が重くなっていた。
重く、鈍い、役立たずの棒切れのように感じる。
息が乱れる。
思考が働かない。
視界が霞む。

雌鳥が鳴くのを頭のどこかで聞きながら、私はとうとうその場に倒れ込んだのだった。



* * *



顔にかかる朝日が眩しくて目を覚ました。


(ここ、は…どこだ……?)


警戒しながら目だけを動かして状況把握に専念する。
小さな家……いや、あばら屋と表現した方が正しいのかもしれない。
そのくらい粗末な小屋だ。

小屋の中に人の気配がしない。
私自身の身体には手当が施されている。
拘束された様子はない。

そのことから判断すると、どうやら捕まった訳ではなさそうだ。


(すると、誰かが私を助けたのか?)


だとしたらなんとも酔狂な。
見るからに怪しげな、しかも怪我まで負った人間だというのに助けるとは。
私から情報を引き出そうという者か、それとも分別のつかない馬鹿者か。
もしくは老い先短い翁の気まぐれという場合もあるかもしれない。

だがしかし、それによって私がこうして命を永らえたのは事実だ。
この際私を助けたのがどんな者かなんて関係ない。
私は、助かったのだ。


(感謝、しなくてはな)


隙間風の入ってくる壁も、蜘蛛の巣が張っている天井も、確実に雨漏りしそうな屋根も、そして私が身体を横たえている腐りかけた床も。
今はすべてがありがたい。
あのまま外にいるより、よっぽど。

そう思っていたところで、強烈な眠気が襲ってきた。
おそらく身体が休養を求めているのだろう。
怪我を負いながら一晩中走り続けた疲労は、やはり少しの睡眠では抜けないようだ。
今は、もう少しだけ、休みたい。













神さまの気まぐれ