が血まみれで帰って来たのは、ひぐらしの鳴き声が聞こえてくる黄昏時のことだった。
の保護者――確か、弥之助という名だった――に抱えられて帰って来たのだ。



「っ!?」



一緒にいた伊作が一目散に駆け出す。

だが私は動けなかった。情けないことに、足が竦み上がり棒立ちとなったのだ。
ああ、ひぐらしがやけに五月蝿い。
ぐわん、と立ちくらみにも似た感覚に襲われる。

ぴくりとも動かないその血に塗れた身体。
だらん、と垂れた傷だらけの腕。
見ているこっちが痛くなるほど、赤黒く腫れ上がった頬。
反対に、青白くなっていく伊作の顔。

それらをまるで他人事のように呆然と眺めていた。
、掠れた声が漏れる。

なんだ、何なんだ、これは。

昨日の朝、いってくると手を振っていた後ろ姿を思い出す。
いつも通りの光景で、そんな奴におざなりな返事をして。

当たり前だ。

いつも通りに帰ってくると思っていたのだ。
いつも通りにまた顔を合わせると思っていたのだ。
いつも通りに軽口をたたき合うと思っていたのだ。

なのに、それなのに、が―――死んだ?
気が付くと、足が勝手に動き出していた。
よたよたとよろけながら走る。

に、手を伸ばす。



っ……!」



パシンッ



「触るな」



その手が、を抱える男の冷えた声と共に遮られた。
一瞬、頭が真っ白になる。



「無闇に触るな。傷に障る。それよりも早く医務室に案内してくれ。このままじゃ、が危ない」



その言葉にはっとする。
は、まだ、生きているのか……?

よく観察してみると、僅かだが胸が上下している。
安堵が胸に広がった。
それに希望を見出だすと、伊作に案内を任せ新野先生に知らせるために駆け出した。

まだ、は生きている。
は、死なせない。
私が何か出来るわけでもないというのに、胸にそう決心した。
死ぬなよ、馬鹿……!



* * *



は3日間、こんこんと眠り続けた。
顔は青白く、注意していないといつの間にか止まっていそうなほど、呼吸も浅い。
新野先生の話によれば、危ないところではあったが峠はどうにか越えたらしい。

後はが目を覚ませば完璧なのだが、いっこうに覚醒する様子はない。
毎日かわるがわる色んな者がやって来てはに声をかけるのだが、は未だに何の反応も示さなかった。

………馬鹿、早く起きろ。

伊作が泣いてるし、文次郎は怒ってるぞ。
留三郎は上の空だし、小平太は落ち着かないし、長次が心配しているぞ。
お前の保護者が夜な夜な侵入してきて困ると新野先生がおっしゃっていたな。
お前の後輩の鉢屋と尾浜だってそうだ。だれもかれもがお前のことを案じている。
いい加減目を覚ませ。



「……さっさと起きんか、馬鹿
「ん……起きたぞ。せんぞー」
「っ!?」



まさか返答があるとは思いもよらなかった。
意識が回復したのか、と待ち望んでいたはずなのになぜか酷く狼狽してしまった。
けれど、はそんな私の様子に気付くこともなく、うつらうつらとした様子で瞼を閉じる。



「まだ、ねみぃから……も、一刻な……」



限界がきたのか、一言そう告げると再び寝てしまった。
一瞬最悪の事態を想定した。
人間は三途の川を越える前に、一瞬だけ別れを告げに戻ってくるというやつだ。
今の今まで忘れていたが、瞬間的に思い出してしまった。

だが、正常に呼吸しているところからみると身体が休眠を求めているだけなのだろう。
ほっと胸を撫で下ろす。



「……一刻経ったら、たたき起こしてやる」



眠るの顔にそう呟いて、あいつらを呼びに立ち上がった。



* * * * *



「おい、起きろ。この馬鹿
「ちょっと、仙蔵!」
「ぅ、ん……」



ぱしりと頭を叩かれて意識が覚醒した。
なんか周りがぎゃーぎゃーうるせぇ。
あと身体の節々、特に左肩が痛ぇ。

ぼーっとした頭で辺りを見渡すと、いつもの面々がずらりと俺の周りを囲っていた。
今からリンチでもされるみたいだ、なんて言ったらこいつらは怒るだろうか。



「目ぇ覚めたのか?



俺が目を覚ましたことに気付いたからか、今まで騒がしかったのがぴたりとおさまる。
そして全員に顔をまじまじと見つめられ、緊張した面持ちの留三郎に声をかけられる。
それに少々居心地の悪さを感じながら返事をした。


「ん、ああ……はよ」
、平気?どこか痛いところは?気持ち悪くない?」
「……身体はそこら中痛ぇ。けどまぁ、それ以外は平気だ」
「そう、よかった……」



いやよくねぇよ、痛いって。
痛む身体に顔をしかめながら身体を起こす。

そしてその痛みが身体中を駆け巡るとともに、今までの記憶が甦ってきた。
山賊退治に行って、頭を倒そうとしたところで忍が出て来たんだ。
それで、その忍に斬られた。俺は倒れて、意識を失って、それで……って、あ?



「俺、どーやってここまでたどり着いたんだ?」
「お前の保護者が運んで来たんだ」
「弥之助が?」



なんで弥之助がここで出てくんだ?
俺が山賊退治にいったことなんか知らないはずなのに。
なんでかあいつ、いっつも妙なところから現れるもんなぁ……。

後で会ったら礼も含めてひとこと言ってやんねぇと。
ああそうだ、こいつらにも礼を言わねぇと。
きっと心配かけただろうし。

そう軽く思って顔を上げ、ぎょっとした。



「……なにお前ら泣いてんだよ」
「お前がそんな怪我して帰って来るからだ、ばーか」
「お前が3日間も目を覚まさんかったからだ、あほ」



普段は仲悪いくせに、どうしてお前らそんなに息ピッタリなんだよ。留三郎も文次郎も。
伊作は言わずともがな、よく見りゃ長次もプライドの高い仙蔵も涙ぐんでいる。小平太なんか号泣だ。
そんな奴らに困惑する。



「……悪かった。心配かけて、ごめんな」



とりあえず謝ってみたが、こんな風に泣かれるとは思ってもみなかったから、どうしたらいいのか分からない。
ちっちゃいガキならともかく、同い年の奴らが泣いた場合どうすりゃいいんだ?わからん。
心配をかけちまったってのはわかったが、泣くほどのもんだったのか?
俺は相当困った顔をしているだろう。

どうすりゃいいんだよ、この状況。



「ほんとだよっ、僕ら心配したんだからね!」
のばか!」
が、もう、目を覚まさないかと、思った」
「無茶しやがって、バカタレが」
「もう二度と、こんな危ない任務を一人で受けようとすんなよ」
「たまには私たちを頼れ」



それぞれの言葉に、目を丸くした。
うっわ、俺こんなに思われてたんだ。

そして、泣きながら放つ一人ひとりの言葉が、胸に刺さった。
ああ、俺はほんとに無茶なことをやっていたんだとようやく自覚した。
いくら金が必要だからって、時間がなくなるからといって、焦ることはなかったんだ。
こんなにも俺のことを思ってくれる奴らがいて、柄じゃないけど感動した。
不覚にも、涙が出そうになった。



「ん……すまなかった。ありがとな」
「そう思うなら夕飯奢れよ」
「課題写させてくれ」
「今度バレーやろうな!」
「団子でも買ってこい」
「早く、良くなれ」
「もう無茶しちゃ駄目だよ?」



矢継ぎ早に紡がれる言葉に、思わず頬が引き攣った。
こいつら、人がおとなしく黙ってりゃ調子に乗りやがって……!
さっきまでめそめそ泣いてたくせに、もうそれかよっ!
嘘泣きだったんじゃあるまいな!



「おめぇらは阿呆か!伊作と長次以外!怪我人にんなこと言ってんじゃねぇぞ!」



まったく、それとこれとになんの関係があるってんだ。
憤る俺を伊作がまぁまぁと宥める。



「ほら、まだ寝てなくちゃ駄目だよ。は大怪我してるんだから」
「その大怪我してる人間を興奮させたのは誰だよ、ったく……」



ぶつぶつと文句を垂れる俺に、みんなが笑った。
その顔を見てようやく、ああ帰って来たんだなぁと実感した。

―――生きてて、本当によかった。













そうか生きるよろこびか!