男が思わず立ち止まったのは、その少年の眼に覚えがあったからだ。

補給のために立ち寄ったある町でのこと。
男は船長を始めとする大食らいの男たちのために買い出しに来ていた。
当面の食料は無事揃えたため、後は今日のティータイムに使う林檎と朝食用のブレッド、そして味付けが気になったため露店の串焼きをそれぞれ買った。例に違わずいずれも大量だ。
そんな荷物を抱えての帰り道、一人の子どもと目が合った。なんてことはない。たまたまだろう。
けれども、男は少年の眼を見たとき既視感を覚えた。

死んでいるようでいて、その実、光を失っていない。そんな眼。
気付けば男は少年の隣へと座っていた。
らしくもない世話を焼こうとしている自分に気付いた男は、どうしたものかと思いながらぷかりと煙を吐き出した。
ひとまずこの食料をこのガキにやろうか。ナミさんには無駄遣いを!と怒られるかもしれないが、また買い直せばいいだけだ。
これをやろうか、そう言いかけたところでまたも視線が交わった。

澄んだ眼だった。

ストリートチルドレンなぞ、大抵が荒んだ眼をしているだろうに、この少年は違っていた。
こんなところにいるというのに、なぜそんな眼をしているのか。
気になった男は少しばかり黙考した後、いくつかの質問をぶつけてみた。
子どもの相手なんぞそうそうしたことがないから、話題が見つからない。
ひとまずは自分との共通項はあるのか聞いてみた。



「お前、料理はしたことあるか」
「ある」



どうやらあるらしい。

男は少しばかり気分が良くなった。料理ができるのは良いことだ。ああそうだ、親がいるかどうかも聞かなくちゃならない。
答えは予想できるが、万が一ということもある。
聞いてみれば、さすがに渋ったものの、食い物で釣ればすぐに答えた。

よし、これならば……そう思ったところでふと重要なことを忘れていたことに気が付いた。
しまった、この条件をクリアできなきゃやっていけない。
だから男は最後の質問としてこう聞いた。



「海は好きか」



望む答えを得られた男は食い物にがっつく子どもを見ながら、さてどう話を切り出したものか、と考えていた。
見るかぎり親が死んだ後一人で生きてきたわけではなさそうだ。誰かしら保護者がいるだろう。まずは話をつけなくてはならない。
そしてこの子どもの説得だ。この食べ物のように、何か餌となるものがあれば良いが……。

ふいにがっついていた少年の手が止まった。
しばらくしても再開しないのでついついどうした?と声をかける。腹でも痛くなったのか?



「持って帰ってチビどもに食わせてやんだ」



予想とは違った答えにいささか面食らうも、この子どもの状況が少しばかり読めてきた。
立ち上がり駆け出す子どもの後を追いかける。少年は噛み付いてくるが、気にせず流した。

まずはこいつじゃなくて、その上だな。
いけそうだ、と男は口角を吊り上げた。



***



ある建物に近づいた時、少年が急に方向転換した。視線の先には、一人の老人。
あたりをつけると、男は少年を追うのを止めて老人へと近づいた。



「じいさん、ちょっといいか」
「……何か用か」
「ここの子どもの面倒は、じいさんがみてるのか?」
「そうだ」
「ちょいと相談だが、子ども一人預けてくれねぇか」
「っ、馬鹿が!いくら積まれたってガキは一人もやらねぇ!馬鹿か!」
「おいおい、落ち着けよ。売って欲しいなんて言ってねぇだろ。預けちゃくれないかって聞いてるだけだぜ?」
「………何が目的だ」
「別に、ただのスカウトだよ」



スカウト?老人は器用に片眉を上げてみせる。
訝しる相手に男は煙を吐きながら答えた。



「海上レストランのバラティエってのがあるんだが、俺はこれでもそこの元コックでね。見込みのありそうな奴がいたら見習いとして送り込んでんだ」
「……なぜあの子を」
「あのガキの眼と、心根が気に入った」
「お前がそこのコックだったという証明は出来るのか」
「バラティエの番号に電伝虫で、サンジって名前と俺の特徴を言えば伝わるはずだ」



あの有名な海上レストランの元コック。そう名乗る男は、だからといって得意げな風ではなかった。
事実をただ当然としてしゃべる様子に、老人はなぜだか信用する気になった。もちろん嘘という可能性も捨て切れないが。

ともかく、少年をスカウトしにきたという話は真実のように思えた。



「本人が了承したならば連れていけ。……あの子が頷くとは思えんがな」
「なんでだ?」
「孤児院の状態は見ればわかるだろう。こんな状況で一人出ていくような真似をするような子ではない」



ふむ、と男は腕を組んだ。
確かに見るからしてボロい建物だ。おそらく中も。
金がいるな。男は一人ごちた。
あの子どもが後を気にすることなく出ていけるだけの金額。



「……じいさん、この辺りは海賊が出たりするか?」
「おるぞ。もう5年もこの辺の海域を縄張りにしている奴らがな」
「賞金は?」
「たしか全員合わせて7000万ベリーほどだったか……お前さん、まさか」
「それだけあれば足りるだろ」
「馬鹿が!奴らを倒せるはずがない!海軍でさえやられたんだぞ!それを一人で?馬鹿か!」
「なぁに、平気さ」



止める老人に手を振りながら、男は港の方へと歩き出した。
海賊の根城へ乗り込むのに、その足取りは軽かった。



***



たいした連中じゃなかったな。
男は振り返りながら煙草をくゆらせた。
海軍へ連絡したら飛んできたので、思っていたよりもだいぶ早く金が手に入った。
これならばあの子どもを引き抜けるだろう。少しばかり気分を良くしながら足を進める。

孤児院に着けば早速話をつけるべく視線をさ迷わせるが、あの子どもの姿は見えなかった。
誰かに聞こうかとも考えていたが、そういえばまだ名前も聞いてもいないことに気がついた。



「……ま、探せばいいか」



ポツリと呟き、適当に歩き出した。
少しばかりうろつくと、ある部屋から声が漏れている。ここか?覗くと、予想外の光景が広がっていた。

子どもが二人、倒れている。犯人であろう男が少年を踏み付け笑っていた。
それだけならまだしも、こともあろうか少女が倒れていたのだ。これはいけない。
男は脇目も振らずに歩き出し、少女を抱き起こした。

レディーをこんな目に遭わせるなんて。……あの野郎、ぜってーぶっ飛ばす!

優しく少女を抱えた男は安全な場所へと運んでいった。
そして再び少年の元へ行き、怒りを込めて商人を蹴飛ばした。ボロい建物が自分の蹴りで倒壊しかねないから、一応手加減はした。
怒りは発散できないが、まあそれは後で発散することとしよう。



「おいクソガキ」
「は、」
「お前のことは俺が買い取った。……6000万ベリーだ。文句はねぇだろ」



賞金は7000万あったが、残り1000万はナミさんに捧げる予定だ。食料だって買い足さなきゃなんねぇし。
子どもが戸惑うようになんで、と聞いてきた。

理由。しいて挙げるならその真っ直ぐな瞳と、良いコックになれそうな条件が揃っていたこと。それだけだ。
だがまあ、説明するのも面倒なので一言で済ませた。欲しいからだ、と。



「………わかった。オレを、買ってくれ」
「交渉成立だな」



うし、と男は満足げに笑った。
そんな中に商人の声が割り込む。わあわあとわめき立てる商人に、男は加減し過ぎたかと舌打ちをした。



「うるせぇな」
「なっ」
「だからそこにあるだろ、6000万ベリーが。あと1000万ベリーはここに」
「……ま、まさか」
「まぁたいして強かなかったがな」



てこずることなくあっさり倒せた。あの程度でこの金額とは、海軍は賞金設定を間違えてるんじゃないだろうか。
あれならグランドラインに入る前のルフィの方が強かった気さえする。

動かない商人に踵を下ろして、逃げられても困るのでロープで縛っておいた。
少女を運ぶ際に海軍への連絡を頼んでおいたので、直にくるだろう。
これで一件落着……ではなく、まだこの子どもが残っていた。



「あー……俺はお前のことを買ったが、手元に置いておく気はない」



野郎だし。レディーじゃないので船に上げる気もない。
そもそも、船にあげていいかどうかの決定権は船長にある。

では捨てるのかと食ってかかってきた子どもに、そんなことするかと眉間を寄せた。
買ってすぐ捨てるなんて無駄遣いもいいところじゃないか。
この子どもの行き先なんて、一つしかない。そのつもりで買ったのだ。



「レストラン?」
「雀の涙ほどだが、給料だって出る。6000万返せたら自由の身になれるぞ」
「なぁ……なんであんた、そこまでしてくれるんだ?」
「……良いコックっていうのはな、それなりのモンがある」



こいつはそれなりに見えた。それだけだ。

ちらりと時計を見遣れば、もうお昼を過ぎていた。
クルー達は各々昼食を済ませただろうが、もしかしたら誰かしら船の中で腹を空かせて待っているかもしれない。
もともと買い出しに行くと言って出てきただけである。ひとまずサニー号に帰らなければ。



「1時間やる。それまでに出て行く準備と、別れを済ませろ」



ひらひらと手を振って孤児院に背を向けた。悔いのないまま海に出られれば、それでいい。
船へ向かう途中、院長である老人と出会った。



「あのガキ、連れて行くぜ」
「……好きにしろ」
「1時間後に迎えに来る」
「ふん」



頑固そうなその態度に懐かしさを覚える。脳裏に姿が浮かぶ。
……あれ以来会っていない。今度船長に提案をしてみようか。

ふっ、と男は自分も気付かないままに笑みを零した。


さあ、まずは昼飯だ。男は仲間のもとへと足を進めて行った。













袖振り合うも他生の縁