「小磯健二です。よろしくね」



一目見た時から、あまり良い感情は抱かなかった。

入社して3年目、本社への異動。しかも異動先はエリートばかりが集まるという技術部。栄転だ。 三十路前、27歳にして最大のチャンス。ここで好成績を出し、認められればもっと上へいけるかもしれない。 ―――けれど、世の中そう上手くいくはずもなく、半年後、俺は庶務課という社内でもお荷物として有名な部署へ飛ばされた。 「お前はあそこの方が向いてるよ。大丈夫、あそこには俺の連れがいるから、悪いようにはならないさ」 そう言って俺を送り出した上司が恨めしい。
OZ日本本社といえば、支社の人間から見れば生え抜きのエリート集団。 だというのに、俺の飛ばされた庶務課はまさに落ちこぼれ。 同僚たちは勤務中だというのにゲームで遊びほうけているし、上司もそれを苦笑いだけで許している。
そう、上司。確かに同僚にも文句はあるが、それ以上に上司である主任、小磯健二が気に食わない。 主任は34には到底見えない、下手したら俺よりも年下に見える程の童顔。中年太りからは程遠い、ひょろりと貧相な体つき。 優柔不断そうな気弱な顔。想像していた本社の上司像のまるっきり逆をいく。最悪だ。 本社にいるのだから、てっきりバリバリ仕事をこなすデキる男がいると思っていたのに、出てきたのは冴えない、という形容詞の似合いそうな平凡過ぎる男。 これで実は仕事ができる、というのかとも想像したが、普段はアルバイトがやるような保守点検の仕事ばかり。 ふざけるな。怒りが湧いてきた。OZは縁故採用などないという話だったのに。 きっとこいつらはお偉いさんの縁者かなにかで、ごり押しされて入ってきたに決まってる。まさしくただのお荷物集団だ。



「あ、そのプログラム出来たんなら主任に出しとけよ」
「………はい」



どこで使うかもわからないプログラムを転送し、報告書片手に主任の席へと向かう。 いくら気にくわなくても、ここがお荷物集団だったとしても、仕事は仕事。なんとか割り切ってデスクへ向かう。
主任は画面を見ながら、何やら考え込んでいた。画面には、わけのわからない数式が羅列されている。 この人はたまにこうやって見栄を張る。解けもしない数式を見せることで、頭の切れる上司とでも演出したいのだろう。 ご苦労なことだ。この時には、どんなに話しかけたとしても、考えているポーズをとり続けるのが常なので、形だけ声をかけて脇に報告書を置いておく。
とその時、一枚の写真が目に入った。主任が写っている、おそらく家族写真。結婚していたのか、と僅かな興味が湧いた。 だが、そこに写っている人物を見て、俺はオフィス内にもかかわらず声を上げてしまった。



「なっ……ナツキ!?」



写っていたのはOZのイメージキャラクターでもあるナツキ。忘れもしない18年前、世界をラブマシーンから守った救世主。 あの時に使われた花札は、今じゃ世界的に有名なゲームだ。毎年世界大会だって開かれている。
事件の後、ナツキは世界的に有名になった。なんてったって世界を救ったのだ。 ナツキのアバターはもちろん、本人だって。OZをやっている上でナツキを知らない人間なんていない。 そのくらい有名な人がなぜ、主任と写真を?本社勤務だから知り合う機会でもあったのだろうか。 けれど、ただの記念写真にしては気安い雰囲気があるように取れる。肩を並べて、間にはナツキによく似た女の子もいて。



「夏希さん?僕の奥さんなんだ」



俺の声に珍しく反応したのか、主任は照れたように言った。一瞬、何を言われたのか理解できなかった。 ―――主任が、ナツキと結婚していかる?そんな馬鹿な!と言いそうになったが、確かにナツキは既婚者だったはずだ。 けれど、発表ではラブマシーン事件解決にも貢献した人物だとあったはず。まさか、主任が?いいや、ありえない。 嘘に決まっている。こんな男がナツキとだなんて。
のほほんと平気で嘘を吐くその顔に、激憤が込み上げる。なんで……!憧れとも言えるナツキを汚されたような気がした。 怒鳴りたくなった衝動をなんとか理性で押し込めて、主任に背を向けた。ますます気に食わない。ちくしょう!



* * *



事件が起こったのは、それから丁度一週間後のことだった。サイバー攻撃。一体どこから受けているのかはわからない。 気が付いたときには、OZシステムはやられていた。定期メンテナンス直後に攻撃されたからか、発見が遅れた。 異常に一番早く気付いたのは―――主任だった。



「異常事態だ。みんな聞いて。OZシステムが攻撃を仕掛けられた」



珍しく真面目な顔つきの主任のその言葉に、ピリリと緊張が走る。だらだらと喋りながら遊んでいる日常が嘘のようだ。



「イタズラ程度ならこれまでも何度かあったけど、今回はちょっと手強いよ。いつもよりも気を引き締めて。いいね」



はいっ、と一同が返事を返す。俺はといえば、一人呆然としていた。
なんだこれ。何が起きているんだ? 混乱した頭で必死に考える。主任が明確な指示を飛ばすまでもなく、それぞれが自分の役割を見つけて取り掛かっている。 普段遊んでいるくせに、なんなんだよ。意味わかんないっての。俺は……俺は、どうすればいいんだ?



「佐藤くん」



呼ばれて、ハッとした。主任が、いつもの顔で俺を見つめている。



「プログラムの構成、頼める?」



ひゅっと思わず息を詰めた。ぷろぐらむの、こうせい。最近よくやらされていた。 それなら、とぎこちなく頷くと、主任は「大丈夫。君ならできるよ」と笑った。 いつもは気に食わない、大嫌いな主任の言葉。でもこの時はなぜか自然に受け止めることができた。



「はいっ!」



持ち場へ向かい、隣り合う同僚たちに確認を取りながら、俺がやれることに全霊をかけて取り掛かる。
これ以上システムへ攻撃されないために、新しい防衛装置を構築。その間にも状況は刻一刻と変化していく。



「主任、技術部の佐久間さんからです」
「繋げて」
「よう健二、やってるな。悪いな、嫌なニュースだ」
「……なにやったの」
「敵がシステムの中枢に入り込んで、ロックをかけてきた」
「ちょっと佐久間」
「悪かったって。無理矢理入ろうとすると、他のアバターを強制的に操って撃退してくる。こっちにいるメンバーじゃ、まず撃破は無理だ。というか、無理だったから侵入された」
「それで?」
「強い戦力がいれば、やり返せる」
「……佐久間から連絡すればいいのに」
「お前からの頼みの方が快く引き受けてくれそうだからさ」



佐久間さんの言葉に苦笑しながら、主任は携帯電話を取り出しとどこかへかけはじめた。



「あ、もしもし佳主馬くん?うん……そう、今起きてるやつ。力を貸して欲しいんだ」



気安い態度で誰かに電話をしている。けれど今この状況で、助っ人になるような人物がいるのだろうか。 佐久間さんはああ言っていたけれど、技術部のメンバーはそのほとんどがOMAに参加し、好成績を残している。 その彼らよりも強力な存在。そんなに都合良くいるのか?



* * *



OZの中では、事態の深刻さがいまいちわかっていない野次馬たちが作業の様子を眺めていた。 不意にそこが騒がしくなる。と次の瞬間、様々な言語で書かれたふきだしが画面を埋め尽くした。 みなが一様に呟いている。

「キングだ!」「救世主」「だれ?」「キター!」「ヒーローの登場ww」「キングきた!」

そんな中、群集をかきわけるようにして出てきたのは、



「キング…カズマ……!?」



王者の風格が、そこにはあった。
主任がいつも仕事で使っているネズミアバターを使って、キングを中へと招き入れる。



「ありがと、佳主馬くん。助かるよ」
「別にいいよ。それよりも……」
「うん。今から佐久間が案内するよ」
「こっちだキング」



先導する佐久間さんに続くキング。案内先は、制御システム。
要塞を模した造りになっているそこには、操られた数多のアバターが蔓延っていた。 キングをが近寄ると、不気味なほど一斉にこちらを向いた。 キングはそれに臆すことなく進んでいき、先頭のアバターに接近した瞬間―――不覚にも胸が高鳴った。 今物凄いことが目の前で起こっている。あの伝説のキングカズマは次々と襲い掛かるアバターたちを打ちのめしていった。 ものともせずに進んでいくキングは、まるでいつかの戦いのようにも見えた。



「よしっ開いた!」
「今だ健二っ!」
「うん!」



切り開いた門の中を、キングと主任のアバターが進んでいく。薄暗く、不気味な空間の奥に―――そいつがいた。



「健二さんこいつ……!」
「うん。色は違うけど」



ラブマシーン―――!
衝撃が走った。ここにいるメンバーすべてが、一度は見たことのあるその風貌。 ただ、15年前と違うのはその色だった。目に痛いほどのピンク。馬鹿にしているとしか思えない。
ラブマシーンは門を破ってきた二人を見て、静かに口を開いた。



「あーあ、使えない」
「………なに?」
「たかだかウサギ一匹にやられちゃうとかさぁ。ま、所詮クズアバターだからしょうがないか」



軽い口調だった。AIだったあのラブマシーンとは違う。こちらはただ姿形を模しただけの、人間が操作する、アバターだ。



「君は、なに」
「僕?そうだなぁ、新生ラブマシーンってところかな?略してシンラ。どう?森羅万象って意味も入れてみたんだけど」
「目的は」
「決まってんじゃん。15年前の再来だよ。OZで世界を掌握するのさ。って言っても、なんか守りが堅くてなかなか侵略出来ないんだよねー。見つかるのも早過ぎだし。だからコントロールとメインを奪うのはこれからさ」



表情豊かに笑ってみせるシンラは、堂々と犯行予告をしてみせた。なんだこいつ。そんなこと、



「そんなこと、させるはずないでしょ」
「あはっ」
「……何がおかしい」
「僕には勝てないよ。王ごときが、神に勝てるはずないじゃない」
「カミサマ気取りかよ」
「ほら、早く仕掛けてきなよ。格の差ってやつを思い知らせてあげる」



そのセリフを引き金に、キングが駆け出した。あっという間に距離を詰めて攻撃を繰り出す。 反撃を許さない速攻。普通の相手ならとっくに倒れているはずの猛撃。

けれど、シンラは不敵に笑うだけだった。



「嘘だ…効いてない……?なんで」
「こいつに攻撃無効化システムが組み込まれてるんだ。いくらキングが強くたって、攻撃が効かなきゃ意味がない」
「そ、そんなっ……!」



違う角度から解析を進めていた佐久間さんの絶望的な言葉に、俺は悲鳴にも似た声を漏らした。 けれど、モニター越しにその声を拾ったキングは、笑みを浮かべる。



「心配ない。そうでしょ?佐久間さん」
「まあな」



自分の攻撃がまったく効いていないというのに、キングは焦りなど微塵も見せず、むしろ余裕さえ窺わせる。 いったいどうするのか、と問う前に画面がふっと切り替わり、数字の羅列と、錠前のイラストが映った。
―――なんだ?



「絶対防御を破る、魔法の呪文。かな?」



俺の心を読んだかのように、佐久間さんがサラリと答えた。



「魔法の呪文って、佐久間さんクサ過ぎ。ていうか三十路越えてまでアホっぽいこと言わないでよ」
「ひどっ、キングひどー!俺はいつでも若いんですー」



ぎゃあぎゃあと画面上で言い争2人をよそに、主任は机の中から紙とペンを取り出した。
何をする気だ?それから主任は画面を見つめると、そのまま動かなくなった。いつのまにか佐久間さんとキングも静かになっている。 妙に重い沈黙がオフィスに降りた。誰かの息を飲む音がやけに響く。 みんな主任がなにをやっているか分かっているようで、息を詰めて見守っている。俺だけが分かっていない。 誰かに聞いてみようか。思った、その時だった。

猛烈な勢いで主任のペンが動き出した。なにやら物凄いスピードで紙に書き込み、書けなくなればちぎってまた新たな紙へ。 主任の周りにはちぎられた紙がひらひらと床へ落ちていく。その一枚を拾ってみると、見たこともないような数式が並んでいた。 なんだ、これ。鬼気迫る、と言ってもおかしくないほど必死な主任の横顔を、俺は呆然と眺めていた。いったいこれは誰だ? これがあの主任?いつも頼りなく、部下の分のお茶を入れたり、アルバイトのような仕事ばかりしている、あの? 今の主任からはそんな雰囲気は微塵も感じられない。
―――すごい。
ただそれだけだった。 時間にして数分後、主任の手の動きが止まった。答えが出たのか、ペンを捨てキーボードへ手を伸ばす。 カタカタといくつかの数字とアルファベット。そして、エンターキー。



「開いた!」



わっと歓声が上がる。さっすが小磯主任!という声が聞こえる。
みんな、知ってたのか?呆然としている間にも事態は変化していく。



「これで、攻撃できる!」
「よっしゃ!キングいけーっ!」
「ちょっ、なんでだよ!?僕の作った傑作が、こんな、こんな数分で……!」



狼狽えるシンラにキングの攻撃が次々と決まっていく。どうやら相手はさほど戦闘はできないらしい。 流れる動作でコンボを決められ、あっという間に、

You Win!

華々しい文字が踊り出た。シンラが消えたことで、制御システムのコントロール権も戻った。 室内の空気が一気に緩む中、誰かの携帯が音を立てた。主任の携帯だ。



「もしもし。……え、もう?……うん。流石だね。うん……わかった。ありがとう、祐平くん。理一さんにもよろしくね」
「祐平くん、なんだって?」
「無事犯人確保したって」
「ほんとですか主任!」
「うぉぉおおお!!いよっしゃあ!」



主任が苦笑しながら「後始末するよ」と落ち着かせていた。俺はといえば、まだ興奮が覚めやらなかった。
すごい。すごいすごい!なんだこれ! あっという間にシンラを倒したキングも、完璧なサポートをした佐久間さんもすごかったけど、それよりもなによりも、小磯主任、すご過ぎる……! こんなとてつもない能力を持っていたなんて!



「先輩!主任って、すごい人だったんですね!」
「お、佐藤もようやく主任のすごさに気付いたのか?」
「反抗しっぱなしだったのになぁ」
「それは……」



バツが悪くなって頭を掻く俺に、佐久間さんが声をかけてきた。



「な?だから言ったろ?お前はこっちのが向いてるって」
「……はい!」



俺は、庶務課に来てから初めての笑顔を浮かべた。













大海は芥を択ばず